メナヘム・プレスラーの特別ワークショップ
2017年10月12日、メナヘム・プレスラーの特別ワークショップが、サントリーホール室内楽アカデミーで6年ぶりに開かれた。前回は2011年6月のチェンバーミュージック・ガーデンの中での実施だった。
プレスラーは、1923年生まれ。1955年から2008年まで半世紀以上にわたって、ボザール・トリオを支え続けた。室内楽の達人であり、現役最長老のピアニストの一人である。
受講者は、室内楽アカデミーのフェローである「トリオ デルアルテ」(ヴァイオリン:内野佑佳子、チェロ:金子遥亮、ピアノ:久保山菜摘)と「レイア・トリオ」からチェロの加藤陽子とピアノの稲生亜沙紀。聴講には、フェローたちのほか、堤剛ディレクターやファカルティの練木繁夫氏も訪れた。
まずは、トリオ デルアルテによるシューベルトのピアノ三重奏曲第1番第1楽章。プレスラーは、まず、「ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、ドヴォルザークのピアノ三重奏曲とは違って、シューベルトのこの曲は弦楽器が主体です。ピアノは第3番目の役割です。他の弦楽器のように音が大きくなってはいけません」という。
プレスラーは、シューベルト独特のppにこだわる。チェロが提示する美しい第2主題はppと記されている。「音楽は語らなければなりません。シューベルトはここではチェロが語るように書いています。でもそれは外で口笛を吹いているような感じではない。奥深くを見つめた優しさです。パンパンパン、ピー(注:チェロが奏でるメロディの1小節前=58小節目から歌う)でチェロが入りますが、弓を押し付けてはいけません。でも語るのを怖がってもいけません。ピアノは入るところ(注:チェロのメロディが始まる59小節目から分散和音を弾き始める)を魔法のような特別な瞬間に変えなければなりません。でも、絶対に大きくなってはいけない。ppですよ!強くならない」。99小節目も「pp!pp!pp!」と厳しい注文がつく。「その箇所は最善の集中力で大切に弾きます!」
プレスラーは、メネセス、ヤニグロ、ナバラなどの出会った名チェリストの話をした。「シュタルケルは朝8時から夜中まで練習していた」という。そして、インディアナ大学で若き堤剛がコダーイの前で彼の無伴奏チェロ・ソナタを弾いたときの思い出も語った。ハイフェッツはワックスマンに紹介されたという。「ハイフェッツがドビュッシーの曲でグリッサンドで弾く時には、官能の意味が含まれています。私は彼のグリッサンドに近づけるようにピアノを弾きました」
続いて、加藤と稲生のデュオで、ブラームスのチェロ・ソナタ第1番。第1楽章の冒頭のピアノの伴奏音型について、「ここを弦楽器で弾くなら、シンコペーションはアップ・ボウで弾くはず。アップ・ビートを感じて弾いてください」と、右手で弓を持っているかのような姿勢で語る。95小節目あたりでは「ピアノの音が少し硬すぎます。ブラームスは、エスプッレシーヴォ・レガートと書いています」。第2楽章ではときどき指揮をするような素振りで演奏を聴き入る。「すごく良かった。自由で、良い音で、お互いに聴いていて、楽しい演奏でした」。第3楽章を終えて、プレスラーは、「よく勉強し、よく考えて演奏しています。才能もあります」と二人を褒めた。
最後にプレスラーは、若い音楽家から質問を受け付け、こうアドバイスした。
「若いプロフェッショナルは、自分の限界を知るべきです。できない曲は人前では弾かない。良かった評判は伝わりにくく、悪い結果はすぐに伝わる。大切な演奏会の前は、できれば、友人や先生に聴いてもらう。指揮者や歌手に聴いてもらうのもよい。私は、91歳でバリトン歌手(マティアス・ゲルネ)と初めて共演し、シューマンの歌曲を演奏しました。90歳を越えて新しいレパートリーに取り組んだのです。シューマンは、大好きな作曲家で、ソロもよく弾きますし、アメリカ・デビューもオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団とのシューマンのピアノ協奏曲でした。それでも、今まで知らなかった新たな感情に接して、シューマンがますます好きになりました。演奏すること、学ぶこと、知らない感情を知って、感情のレパートリーを増やすこと、を愛さないといけません。常に前向きに、学ぶということに飽きてはいけません」
プレスラーのワークショップで印象に残ったのは、いうまでもなく、彼の経験値の高さ(数多くの歴史に残る様々な音楽家と共演し、無数の名もなく消えて行った音楽家とも接した、キャリアの比類なき長さ)である。90歳を越えても衰えることのない感性の鋭さにも驚かされた。そして最も感銘を受けたのは、誰にも負けない、作品に対する愛情の深さであった。