2023年10月11日(水)~12月3日(日)
※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF) をご参照ください。
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
※展覧会会場では、章と作品の順番が前後する場合があります。
19世紀の江戸では、浮世絵をはじめ、狩野派や南蘋派、文人画など多彩な作品が生まれ、まさに百花繚乱の様相をみせていました。
江戸時代に画壇の覇者として君臨していた狩野派では、単に伝統を墨守するだけではなく、やまと絵や浮世絵、琳派、西洋画法なども取り入れています。その門下からは従来の狩野派とは異なる独創的な作品を描く絵師も現れました。四条派や土佐派などを学んだ後に狩野派へ入門したとされる狩野一信(1816~63)は、伝統的な仏画の画題に洋風の陰影法を用いて、強烈な迫力をもつ極彩色の「五百羅漢図」(大本山増上寺)を制作しています。
また、多種多様な絵画を学び江戸画壇に大きな影響力をもった谷文晁(1763~1840)の一門からは、流派にとらわれず新たな表現へ挑戦した絵師が輩出されました。文晁一門の系譜は明治以降も続き、その表現は近代日本画へも受け継がれています。
本章では、19世紀の江戸において二大流派であった狩野派と文晁一門を中心に、数多くの絵師たちが腕を競った幕末の江戸画壇の一端を紹介します。
近世から近代への美術の流れを考えるうえで「西洋絵画をいかに受け入れたのか」という問題は見過ごせません。鎖国下では西洋絵画の情報は限られていましたが、江戸時代中期には蘭学が盛んになり、司馬江漢(1747~1818)や亜欧堂田善(1748~1822)によって西洋画法を取り入れた洋風画が描かれています。江戸時代後半には、舶載の銅版画や洋書が多く流入し、陰影法や遠近法を用いた様々な洋風画が制作されました。
その後、幕末の江戸で活躍した洋風画家が安田雷洲(?~1859)です。はじめ葛飾北斎(1760~1849)に学んだ雷洲は、緻密な銅版画を得意とし、独特の洋風表現をもつ肉筆画を描きました。
洋風画は、画派として広がることはありませんでしたが、江戸時代に各絵師がどのように西洋絵画と向き合ったかを示しているといえるでしょう。本章では、安田雷洲を中心に幕末の洋風画を特集します。
役者絵や美人画が中心であった浮世絵は、19世紀になると新たなジャンルが発展します。葛飾北斎や歌川広重(1797~1858)の登場により名所絵や花鳥画が流行し、人気を博しました。幕末には武者絵で名をあげた歌川国芳(1797~1861)が、風刺のきいた戯画や、三枚続を活かした斬新な構図などで新機軸を打ち出しています。北斎、広重、国芳といった巨匠からは多くの弟子が輩出され、特に歌川派は幕末浮世絵界の一大勢力となりました。
また、ジャーナリスティックに同時代の世相を写し出す浮世絵は、黒船来航や横浜開港といった幕末の時事的な画題も取り上げています。横浜浮世絵と呼ばれる、開港した横浜の西洋風俗などを主題にした作品が、歌川派の絵師によって多数描かれました。
本章では、歌川国芳や歌川派の絵師たちに注目し、幕末の浮世絵の豊饒な世界を紹介します。
開国、大政奉還、江戸幕府の瓦解、戊辰戦争、明治政府の成立……嘉永6年(1853)の黒船来航以降、めまぐるしく時代は変化していきます。慶応4年(1868)には江戸が東京と改称され、年号は明治に改められました。この社会的な転換を区切りとして、かつては明治元年以前と以後の美術を切り離して語ることが通例でしたが、近年では江戸と明治の連続性に重点を置くようになり、幕末明治期の絵師たちの再評価が進んでいます。
本章では、近代歴史画の祖・菊池容斎(1788~1878)や、血みどろ絵で知られる月岡芳年(1839~92)、あらゆる画題に挑み画鬼と称された河鍋暁斎(1831~89)、光線画で一世を風靡した小林清親(1847~1915)といった、江戸の地に生き、東京で活躍した絵師たちを取り上げ、江戸絵画の伝統を引き継ぎながら、新時代の感覚をあわせ持った作品を特集します。
また、文明開化の波が押し寄せ、近代日本の中心となった東京を描いた開化錦絵を展観します。
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