2018年11月28日(水)~2019年1月20日(日)
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
※本展は山口県立美術館(2019年3月20日~5月6日)へ巡回します。
※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF) をご参照ください。
近代の幕開け間もない明治11年(1878)、明治政府は「Japon」として、フランス・パリで開催された万国博覧会に参加します。欧米諸国を席巻しはじめたジャポニスムの流行を、さらに加速させたこのパリ万博への出品作のなかには、幅広い時代と流派を網羅した、百本の「扇」があったと伝えられています。
狩野派や土佐派から、水墨画、浮世絵、文人画まで、海外に日本絵画の特質を正しく広めるべく選定され、万博会場を彩ったであろう百本の扇。この時期、扇は明治政府の主力輸出品であるとともに、日本の文化的象徴としてのイメージが託された存在でもあったのです。
序章では、このパリ万博に出品された扇を通して、かつて世界を魅了した「扇の国、日本」へとご案内します。
扇は、大別して二種類あります。奈良時代に発生したと考えられる、薄い板を綴じ重ねた「檜扇」と、檜扇よりやや遅れて平安時代初期に作られるようになった、竹骨に紙や絹を張った「紙扇」です。
涼をとるなど実用的な道具としてだけでなく、儀礼や祭祀の場においても扇は不可欠なものでした。平安時代半ばには貴族の服制が整い、檜扇は冬扇、紙扇は夏扇と、装束の一部として用いられるようになりました。そして、季節や持ち主によってふさわしい扇が求められるようになったことが、日本の扇の装飾性を発展させていったのです。
一方で、季節を問わず重要な装いには檜扇が正式とされたことは、扇が風を起こすためだけの道具ではなかった可能性を示唆しています。本章では、神事や祭礼の御神体のほか、経塚の埋納品、仏像の納入品などを通して、神仏と人を結ぶ呪物としての扇をご紹介します。
中世から近世初頭の絵画や文献史料のなかには、水面に扇を投じ、そのさまを楽しむ「扇流し」を行う人々の様子を、しばしば見出すことができます。また、屛風や襖に扇を散らすように配置し、背景に流水や波を描く「扇流し図」も、中世以降、さまざまなバリエーションが作り出されていきました。
こうした水流と結びつく扇の、漂い流れて変化するかたちと、やがて失われてゆく姿に、趣きや無常観が見出されたことは想像に難くありません。そこには、鎌倉時代の仏教説話集《長谷寺験記》に見られる「流れつく扇から愛する人の居場所を知り、再会する」というエピソードのように、男女や、離れた人と人をつなぎ合わせる、運命を司る道具としてのイメージも託されていたのです。
本章では、どこかはかない美しさをまとった「流れる扇」の展開と変奏をご覧いただきます。
早く10世紀末より、日本の特産品として大陸へ送られるようになった扇。中国では明代(1368~1644)に一層人気が高まり、刀や屛風などと並んで、日明貿易の主要な輸出品のひとつとして喜ばれました。
また日本では、中世を通して、扇は季節の贈答品として用いられ、人々が日常的に身につけるアクセサリーとしても欠かせないものになっていきました。
こうした国内外での大量消費は、おのずから扇の量産をうながし、美術と商業が結びつく嚆矢としても注目されます。特別な注文品のほか、すでに14世紀半ば頃には、既製品の扇が店頭販売されていたことが知られ、貴賤を問わずより多くの人々に享受されたと考えられます。
本章では、人々の間に流通し、交流を取り持つコミュニケーション媒体ともなっていた扇の数々をご紹介します。
扇は、いつでもどこでも手のなかで楽しめ、披露できる、身軽でひらかれた絵画です。それゆえに人々の間を盛んに流通し、特定の画題や構図を広く流布させる役割も果たしました。
イメージを厳選し、定着・共有化しやすい扇というキャンバスを得て、特に長大な物語は、描きやすく、かつ手軽に鑑賞もできる人気の画題となりました。名場面のダイジェストとしてだけではなく、屛風や画帖に貼り集めることで、ストーリーの全貌も味わえたのです。
一方、小画面ゆえにモチーフが厳選されることで生じる象徴性は、和歌との相性もよく、室町時代後期には「扇の草子」と呼ばれる、扇絵(扇面画)から和歌を当てる謎解き要素を含むジャンルも成立しています。
本章では、直線と曲線からなる独特な画面に凝縮された、豊かな文芸の世界をご覧いただきます。
扇は、日本で最も多く描かれた絵画であり、消耗品ゆえに、最も多く失われた絵画ともいえます。
江戸時代、扇絵を描かなかった絵師はいないといっても過言ではありません。将軍や大名の御用絵師である狩野派や、宮廷絵師である土佐派のほか、庶民層からの支持を背景に新たに台頭したさまざまな流派も、扇絵で個性を発揮すべく、新たな構図・画題・技法に挑戦していきました。
中世には早くも店頭販売されるようになった扇ですが、江戸時代中期には、「扇売り(地紙売り)」と呼ばれる行商人も登場しました。扇はより身近な最先端のファッション・アイテムとして、そこに描かれる絵に強い関心が注がれていたのです。
本章では、あらゆる流派によって描かれた、江戸時代のバラエティに富む扇絵をお楽しみください。
扇は、開くと末の方が広がるその形状から、繁栄を象徴する縁起のよいものとして好まれました。
このような末広がりの形は、絵を描くフレームとしてだけではなく、絵画というジャンルを超えて、工芸や染織の世界とも融和していきます。開いたり、閉じたり、半開きにしたり、変化に富む形態がより大胆なデザインを生み出し、人々の生活を彩りました。
扇の機能や道具としてのイメージは記憶に残しながらも、もはや立体とも平面とも、絵画とも工芸ともつかない、自由な造形が大小さまざまに展開します。
終章では、近世を中心に、多彩な変貌とさらなる発展をとげる扇の世界をご紹介します。
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