2011年1月8日(土)~3月6日(日)
※作品保護のため会期中、展示替をおこなう場合があります。
※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。
西洋の王侯貴族は、宮廷のステータスシンボルとしての磁器の収集に興じるいっぽう、西洋では謎とされていた磁器の製法の解明を競い合いました。ザクセン選帝候フリードリッヒ・アウグスト1世ポーランド王アウグスト2世(1670-1733、通称「アウグスト強王」)は、錬金術師ベトガーに東洋磁器に匹敵する本格的な磁器(硬質磁器)の製法解明を命じます。1708年にドレスデンで焼成に成功し、1710年にはヨーロッパ初の硬質磁器窯がマイセンに開かれ、西洋磁器が誕生しました。
本章では、「白い金」と称えられた磁器を西洋人自らの手でつくり出し、異国趣味を基調にした初期の時代を経て、器形、装飾とともに次第にヨーロッパ独自のスタイルへと発展していく創成期の過程を追います。白磁に先立ち発明された中国宜興(ぎこう)写しのや、今日とは組成の異なる初期のベトガー磁器、また天才的な絵付師ヘロルトの登場によって完成された色絵技法による「シノワズリ」「インド文様」など、異国情緒あふれる初期作品をご紹介します。また大航海時代にヨーロッパに渡ったコーヒー、紅茶やココアなどの新しい喫茶文化は、磁器の普及に深い関わりを持っており、今ではみられない珍しい形のカップ類も見どころです。
スノーボール貼花装飾ティーポットとカップ
原型18世紀中期、製造18世紀中期(ポット) 19世紀後半(カップ)
国立マイセン磁器美術館所蔵
インド文様花卉文ココア・セルヴィス
原型1730年代、製造1770年頃
国立マイセン磁器美術館所蔵
本章では、アウグスト強王が夢見た壮大なスケールの磁器の世界と、ロココ時代の貴族の楽しみや関心事、みやびな宮廷生活の様子が覗える作品をご覧いただきます。 アウグスト強王は、すべての部屋を東洋の高価な舶来品とマイセン磁器で埋め尽くす「日本宮」を計画します。またさらなる目玉として、大広間に磁器製の大型動物の彫刻を並べた宮廷動物園「メナージュリ※」の実現を思いつき、彫刻家ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(1706-1775)を造形師としてマイセンに登用しました。この究極の挑戦は、王の死により実現しませんでしたが、ケンドラーの技量が発揮され数多くの大型動物彫刻が生まれました。一方、豪華さを競うテーブル装飾や食器の分野にも次第に磁器が導入され、テーブル装飾に始まった小型の立像(フィギュリン)は、ケンドラーの創造力により無数のレパートリーを展開しました。こうして「磁器彫刻」は、東洋にはみられない西洋独自のジャンルとして発展しました。
ここでは繁栄の頂点にあったザクセンの盛名に相応しい迫力溢れる作品とマイセンの歴史を築いたフィギュリンの名作の数々をご紹介します。
※「メナージュリ」・・・17~18世紀の西ヨーロッパでは、犀やライオンなどのエキゾチックな動物が磁器以上に珍重されましたが、それらを収集飼育する宮廷の動物園
メナージュリ動物彫刻《コンゴウインコ》
原型ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー
原型1732年、製造 1924-34年頃
国立マイセン磁器美術館所蔵
フィギュリン《猿の楽隊》
原型ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーほか
原型1753-55年頃、製造1950-70年代
国立マイセン磁器美術館所蔵
産業革命の結果、裕福な市民階級が台頭し始めると、彼らに好まれる豪奢な金彩装飾や清楚な花柄、当時流行したカット・クリスタル風の装飾など、新たな趣味が展開していきます。
一方、科学と技術の進歩により、今までにない大作や複雑な装飾が実現可能となりました。19世紀後半には、ロンドン、パリ、ウィーン、シカゴなどの大都市で万国博覧会が開催され、マイセンは技巧をつくした大型作品により、他国を圧倒しました。本章ではブルジョワジーに愛された清楚で細やかな装飾や、技術の進歩により可能となった新しい技法を用いる大作など、19世紀マイセンのひろがりとダイナミズムをご紹介します。
神話図壺
フォルム原型18世紀中期、製造1880-1900年頃
国立マイセン磁器美術館所蔵
クラテル型大壺《勝利の行進》(1893年シカゴ万博出品)
フォルム原型エルンスト・アウグスト・ロイテリッツ
原型1856年、製造1893年以前
国立マイセン磁器美術館所蔵蔵
19世紀末から20世紀前半の社会の激変は、アートの世界にも激しい変化をもたらし、「モダニズム」の芸術運動が花開きます。1890年代からパリを中心に花開いた「アール・ヌーヴォー」は、20世紀初頭のマイセンに流麗なフォルム装飾をもたらしました。1900年を中心に各国が挑戦を繰り返した新技法、すなわちクリスタル・グラズーア(結晶釉)や釉下彩(ゆうかさい)などの作品群も残ります。1920年台を中心とした「アール・デコ」の時代には、パウル・ショイリッヒ(1883-1945)、マックス・エッサー(1885-1945)らの外部アーティストとのコラボレーションによる極めて芸術性の高い作品が生み出され、マイセンは1937年のパリ万博で新たな注目を集めました。彫刻家エミール・パウル・ベルナー(1888-1970)の手になる「花器シリーズ」は従来の伝統イメージを覆す強烈なインパクトで、21世紀の我々から見ても色あせることはありません。
ウィング・パターン・セルヴィス
原型ユリウス・コンラート・ヘンチェル、ルドルフ・ヘンチェル
原型1901-03年、製造20世紀初頭
国立マイセン磁器美術館所蔵
象の大燭台
原型マックス・エッサー
原型・製造1924年
国立マイセン磁器美術館所蔵
第二次世界大戦終結後に東西に分断された冷戦時代、マイセンは社会主義体制下に組み込まれて再出発しました。1960年以降、新たな創造性を追求するワーキンググループ「芸術の発展をめざすグループ」が5人のアーティストにより形成され、再び新たなマイセンの歩みが始まりました。
現代においてはアーティストによる「ユニカート」(1点もの)も生まれ、芸術作品としてマイセンの価値が再び注目されています。最終章では、20世紀の業績を振り返り、未来に向けたマイセンの世界をご紹介します。
真夏の夜の夢《ティタニアとロバ頭のボトム》と《オベロン》
原型・装飾ペーター・シュトラング 原型・製造1969年
国立マイセン磁器美術館所蔵
アラビアン・ナイト大花瓶
原型ルードヴィッヒ・ツェプナー 原型1974年、製造2003年
国立マイセン磁器美術館所蔵
※本サイト内の記述、画像の無断転載・転用を禁止します。