2009年5月30日(土)~7月12日(日)
※作品保護のため会期中、展示替をおこなう場合があります。
※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。
直江兼続は永禄3年(1560)、越後国上田庄で樋口兼豊の子として生まれました。この年には織田信長が今川義元を桶狭間で破り、翌年には武田信玄と上杉謙信が川中島で激突。上杉謙信の死後、上杉景勝・兼続の主従は、後継者の座をめぐる争い御館の乱(1578)を制し、越後・佐渡を統一に導きます。兼続は景勝政権の中枢部で活動し、豊臣秀吉による全国統一を推進する立場として活躍します。景勝は豊臣政権下で五大老の地位となりますが、秀吉の死後に家康と対立し、関ケ原合戦(1600)後に米沢へ移封となります。兼続は上杉家を守るために奔走、そして元和5年(1619)にその生涯を閉じます。
第一部では、直江兼続の生涯について上杉家ゆかりの品々と歴史資料などを交えて紹介します。
直江兼続が活躍した時代は、信長、秀吉、家康と続く天下統一への歴史と重なり合っています。群雄割拠した各地の城郭に描かれた障屏画や武器・武具の装飾には覇気に富む武将の好みが反映しています。一方、上杉家に伝わった「洛中洛外図屏風」に代表される近世初期風俗画は、都を中心として闊達でおおらかに生きる当時の人々の姿を今に伝えています。
また兼続は、漢詩文をたしなみ、五山の禅僧とも活発に交流しました。とくに収集した漢籍や残された連歌からは、学芸を好んだ兼続の人となりを知ることができます。そして千利休が大成した茶の湯や、能の世界、さらには宴を彩った調度品の数々も、兼続と時代を共に生きた人々の美意識を物語る分野として興味尽きません。
第二部では、文武両道の典型と評される兼続が深くかかわった桃山時代の文化を、選りすぐりの絵画や貴重な漢籍、華麗な工芸作品で紹介します。
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