選評
社会・風俗2024年受賞
『映画館に鳴り響いた音—戦前東京の映画館と音文化の近代』
(春秋社)
1985年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館次席研究員などを経て、現在、早稲田大学総合人文科学研究センター次席研究員。
著書 『映画監督 小林正樹』(共著、岩波書店)
まさに書名通り。映画館にどんな音が鳴り響いていたか。それだけ。だがこの「それだけ」がとてつもなく大変なのだ。映画はサイレントに始まり、トーキーに移行していった。サイレントといっても音のない映画を皆で静かに観ていたのではない。むしろ喧(やかま)しかった。映画館には活動弁士や楽士が居た。映画好きや音楽好きならそのくらいまでは知っている。では東京で初めて映画が一般公開されたのは?1897(明治30)年に神田で。もちろんサイレント。すると東京初のトーキー映画の興行は?1929(昭和4)年に浅草と新宿で。その間、何と32年。日清戦争直後から世界大恐慌の始まる年にまで及ぶ。大正期がすっぽり入る。
文化に教養、娯楽の趣味、その内容も規模も、激変と拡大と多様化を繰り返してゆく。そういう時代の中心に躍り出て居座っていたのが映画。とすれば、無声映画館に鳴り響く音が、活弁に楽士という大雑把なイメージだけで掴まえられる筈はない。映画の種類や中身もだが、上映に合わせて付される映画館でのライヴのパフォーマンスにも限りなき変遷があったに違いない。ところがその詳細となると霧の向こう。確かに活動弁士を巡る浩瀚な研究もあれば、映画館の楽士のありさまを綴る本もなくはなかった。でも、明治から昭和までの事の移り変わりを、年代記的に濃(こま)やかに、しかも学問的な整理のツボを外さずに追い詰めて、歴史の総体を見せてくれた書物は決してなかった。本書が現れるまでは。
驚くべき研究だ。無声映画そのものもずいぶん失われているし、ましてやそれが上映されたときの映画館の音の有様なんて遠い彼方に消えている。調べるにも限界がありすぎ。しかし著者は、一次資料の発掘に尋常ならざるエネルギーを注ぎ込んで、難関を見事に突破。当時の雑誌や新聞の記事の片言隻句(へんげんせきく)から、ちょっとした広告までを漁り尽くし、組み合わせ、神田や浅草や新宿の映画館の大昔の音の風景を生き生きと再現する。ジンタが鳴る。オーケストラに発展する。どこの映画館に楽士が何人いて、どんな曲を演奏したか。映画の場面に合わせてどんな曲をどのくらい変えていたものか。既成曲ばかりか。オリジナル曲は?そういうことが年々刻々どう変わったか。活動弁士がヴァイオリン弾き語りをした!銀幕の横で歌手が歌った!洋画なら洋楽だけれど邦画なら邦楽も。浪曲が、琵琶楽が、義太夫が、新内(しんない)が、銀幕と共演した!
何しろ明治から昭和初期の日本人の音楽趣味は圧倒的に伝統邦楽だ。映画館に邦楽が鳴って当然。その深度と持続度と広がりを明らかにしたのは本書の勲(いさおし)。無声映画時代にオリジナルな楽曲を映画館での生演奏用に提供していた作曲家・松平信博の仕事を明らかにしたのも、日本映画音楽史を書き換える壮挙だ。無声映画館はとても長い間、映像と語り芸と邦楽と洋楽によって織り成される混沌たる劇場だった。本書はその総見取り図を初めて示し得た。真打登場である。そして本書の後ろの三分の一はトーキー初期に踏み込む。この部分には膨大なこの先がなくてはならない。今後に期待する。
片山 杜秀(慶應義塾大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)