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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗2023年受賞

小俣ラポー日登美(おまた らぽーひとみ)

『殉教の日本―近世ヨーロッパにおける宣教のレトリック』

(名古屋大学出版会)

パリ高等研究実習院宗教学・思想専攻博士課程修了。博士(宗教学)。スイス・フリブール大学歴史学部博士課程修了。博士(近世史)。ハーバード大学歴史学部客員研究員などを経て、現在、京都大学白眉センター/人文科学研究所特定准教授。
著書 『岩波講座 世界歴史 第15巻』(共著、岩波書店)など。
論文 「奇跡を実験する」(『現代思想』2023年10月号)など。

『殉教の日本―近世ヨーロッパにおける宣教のレトリック』

 日本の研究者による、こうした国際水準の「読める学術書」を、私は30年以上も待ちわびていた。西欧中心史観とナショナル・ヒストリーと公文書主義の限界が指摘され、グローバル・ヒストリーとポストコロニアル研究と記憶研究の必要が叫ばれてきたわけだが、その条件すべてを満たす学術書は少ない。他方で歴史研究の精緻化は対象の細分化をまねき、幅広い読者の知的欲求に応えることは容易ではない。本書はそうした学芸の苦境に風穴を開ける一つの快挙である。
 「暴虐と聖性の国」という日本イメージが17世紀西欧でいかに形成され、その記憶はいかに変容したか。それこそ著者が現地での徹底した史料調査を踏まえて解明した問いである。本書は狭義には「日本二十六聖人」をめぐるキリスト教布教のレトリック研究、あるいは「殉教」概念のプロパガンダ史だが、文明史としての射程は驚くほど広く長い。近世ヨーロッパで成立した「殉教の日本」イメージは、現代日本人の世界観にも大きな影響を及ぼしているからである。
 日本二十六聖人とは、豊臣秀吉の命令により1597年(慶長元年)に長崎で磔刑に処された宣教師とカトリック信者の総称である。この殉教者が列福されて聖人(列聖は1862年)の扱いを受けたのは、処刑から30年後、三十年戦争(1618-48年)中の1627年のことであった。その5年前、1622年にローマ教皇グレゴリウス15世は対抗宗教改革を推進すべく布教聖省Sacra Congregatio de Propaganda Fideを設立している。周知のごとく、政治用語として今日も使われる「プロパガンダ」は、この教会用語に由来する。つまり、日本二十六聖人はカトリック教会が「宣教の勝利」を誇示したプロパガンダの象徴である。だからこそ真偽を問わず膨大な聖遺物、報告書、図像、受難劇が創出され、大切に保管されてきた。
 宗教戦争の真っただ中で成立した「殉教」概念もプロパガンダと不可分である。当然ながら、日本の殉教者の言説にも「フェイク・ニュース」は含まれていた。こうしたプロパガンダ分析において、殉教者のファクト(事実)よりも信者へのエフェクト(効果)に著者が十分に目配りしていることも、私が本書を高く評価する理由である。殉教者の聖性の物的証拠と見なされた聖遺物についても真贋の識別よりも、それが記憶の依代として蒐集され継承された文化的意義の考察が重要なのである。
 そうした記憶研究の白眉とも言えるのが、非文字資料である殉教図像と殉教演劇を扱った第4章、第5章と言えるだろう。「殉教の日本」図像は事実を描写したものというよりも、イエス・キリストの十字架の受難、当時の異端審問における処刑など西欧の既成イメージを流用した図像である。だからこそ多くの信者に理解され感動をもたらした。演劇もこのイメージを舞台上で再現し、「見ることがすなわち信じること」である宗教的開眼を可能にした。この殉教劇が上演された地域の片寄り、その演目や残虐シーンの増減など実証的データから、「日本の殉教」が日本よりも西欧の出来事に強く結びついていたことが解き明かされている。その意味で、情報社会における日本イメージ構築の考古学として本書を読むこともできるだろう。

佐藤 卓己(京都大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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