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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史2022年受賞

中 真生(なか まお)

『生殖する人間の哲学—「母性」と血縁を問いなおす』

(勁草書房)

1972年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。
東京大学大学院人文社会系研究科助手、神戸夙川学院大学観光学部准教授などを経て、現在、神戸大学大学院人文学研究科教授。
著書 『あらわれを哲学する(仮)』(共著、晃洋書房、2023年3月刊行予定)

『生殖する人間の哲学—「母性」と血縁を問いなおす』

 子どもが生まれること、子どもを育てることは、だれにとっても、あるいはどのような時でも喜ばしい出来事であるとは限らない。子どもを生むことがじぶんのキャリア形成にとってマイナスであると思われる時期も、子どもを育てるさいに必要となるひとつひとつの手順がたまらなく煩わしくなる場合もあるだろう。妊娠することの不安、妊婦であることによって奪われる身体の自由、出産にともなう危険と痛み等々はいま措いておくとしても、出産後のたとえば授乳、また離乳食をつくり、ちいさなスプーンでそれを与えること、風呂に入れて、壊れそうなからだを清潔に保つこと、夜泣きする子どもをあやし、外に連れだすことなどが、その「終わらなさ」において果てしない苦行であるかのように思われることもあるだろう。そうしたすべてをひとりの女親にだけ押しつけることはとてつもない不正であるかもしれず、その「不正」に押しつぶされそうになっている女性を、「母性」なるものを振りかざして批難することは、端的に不正義ともなるはずである。
 母性をめぐる「神話」が命脈を断たれることなく生きつづけ、その神話が女性に対して(ときに男性にとっても)抑圧的なものとなるのは、およそ「親」のあり方が固定され、とりわけ「母」と「父」とが強く区別されて、「生みの親」と「育ての親」とが決定的に分断されるからでもある。そうした抑圧、固定化、分断が生じるのは、遡ればさらに、「出産」に過剰な意味が付与され、揺るがすことのできない出来事と見なされてしまうことにも起因するのではないだろうか。ここに本書の問い、単純なものでありながら本質的な、もしくは本質的であるがゆえに単純とも見える問いかけがはじまる。言葉遣いをあらかじめすこし整えておき、「産む」とは出産することであるとし、子どもを「生む」ことは子どもを「持つ」ことであるとするならば、母親のみが産むとしても、父親もまた子どもを生むといってもよいし、出産することの周囲に中心化される「生殖」の問題を、むしろ子どもを育てること、育てることをつうじて子どもとの関係を形成してゆくことを中軸として再考し、そのことで生殖の中核的な意味を考えなおすこともできる。そのとき同時にまた、子どもにとっての母と父とのあいだの差異、生みの親たちと育ての親たちとのあいだの相違が相対化され、そこに存在するのは乗りこえがたい落差ではなく、むしろ緩やかな濃淡の違いであることともなるだろう。
 哲学的な思考とは経験と論理とに由来し、また経験を論理化して、個別的なもののうちに普遍的な意味を探ってゆくものである。哲学的思考はそのことでまた、世界の見えかたを変化させ、ときに世界のあり方そのものを変容させる。本書で展開されているのは、そうした思考のすぐれた典型にほかならない。本書で問われている問題は折りかさなり、交錯し、複合的であることは言うまでもない。問題を解きほぐす本書の文体は、望みうるかぎりでもっともしなやかで、繊細なものであることも特筆にあたいする。本書はそのことでまた、「子どもを持ち、育むこと」をめぐって、あらたな希望を紡ぎだす一書ともなっているといってよい。  

熊野 純彦(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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