選評
政治・経済2022年受賞
『ドイツ・ナショナリズム—「普遍」対「固有」の二千年史』
(中央公論新社)
1973年生まれ。
ベルリン・フンボルト大学第一哲学部歴史学科修了。哲学博士。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。
ミュンヘン現代史研究所客員研究員、愛知県立大学外国語学部准教授などを経て、現在、愛知県立大学外国語学部教授。
著書 『教皇ベネディクトゥス一六世』(東京大学出版会)など。
今野元氏による『ドイツ・ナショナリズム』は、西洋的価値観という「普遍」と民族の伝統や文化に根ざした「固有」の間で苦悶してきたドイツ・ナショナリズムを、一貫した枠組みで分析したスケールの大きな歴史分析である。
ドイツはその国民形成の過程で優勢な西欧の「普遍」に晒され、軍事的にも文化的にも圧力を受け続けてきた歴史的背景がある。それに対抗するために自身の「固有」を積極的に発掘し、しばしばそれを過剰に拡張しようとする衝動を示してきた。しかし他方で、一旦「固有」の極端な拡張が挫折すると、今度は「普遍」よりも普遍的になることで自尊心を回復しようとする、逆説的なナショナリズムが高まるという力学が作用した。
もちろん「普遍」の圧力にどのように対応するのかという課題は、ドイツの過去に限られた問題ではない。これは自らの「普遍」を問いなおす必要のない特権的な帝国以外の国々、つまり日本も含む世界の多数派の国々で、大なり小なり知識人が直面してきた問題に他ならない。またこれが単なる過去の問題でないのも、冷戦後の時代が終わり、最終的に勝利したとまで考えられた欧米の「リベラル」な「普遍」の限界が表面化し、様々な「固有」が噴出している今日の時代状況を一瞥しただけでも明らかであろう。
このような大きな問題意識を正面から論じた本書だが、著者は記述の随所に人物像やエピソードを織りこみ、難解な論争や複雑な出来事の展開を活き活きとした躍動感に富む読み物にすることに成功している。そうした叙述の背後に、膨大な量のドイツ語文献資料を緻密に読み込んだ、著者の正統的な研究の蓄積が垣間見える。その上でマイネッケ、ウェーバー、ハーバーマスといった、往々にしてその解釈論にとどまりがちな知的権威を俎上に乗せて、臆することなく批判的に分析し、正面から評価を加える著者の颯爽たる知的姿勢に、胸をすくような爽快感を感じる。
他方で、「エステルライヒ」(オーストリア)、「シュヴァイツ」(スイス)、「ベートホーフェン」(ベートーベン)、「連合国」(国際連合)といった表記は、単なる趣味ではなく明確な根拠に基づくものではあるが、戸惑う読者もいるだろう。知的挑戦が非生産的な論争に迷い込まなければよいがという微かな気がかりは、年寄りの老婆心にすぎないと考えよう。
すでに『マックス・ヴェーバー』(東京大学出版会)や『教皇ベネディクトゥス一六世』(同)などの浩瀚(こうかん)な研究書で、学識には定評のある著者が、幅広い読者を対象にコンパクトな形で意義深い知的挑戦を世に問うたことを称え、今後のさらなる発展を一読者として期待したい。
田所 昌幸(国際大学特任教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)