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アイスクリーム&ソーダ

一角にはテーブルもしくは大理石のカウンターがしつらえてあり、華美なソーダ・ファウンテンの機器の前には白い制服を着た専属従業員、ソーダ・ファウンテン係が立っていた。そして客たちはアイスクリーム&ソーダを味わいながら憩うようになった。この光景は19世紀後半には全米で見られ、1900年、ドラッグストアのソーダ・ファウンテンの数が酒場の数を上回ったといわれている。

これは禁酒運動の影響が大きい。いろいろな州や小さな自治体で禁酒法が下されはじめたのだ。ドラッグストアが息抜きの場となっていった。

 

こうしたソーダ・ファウンテンやアイスクリーム&ソーダが全米で人気を高めていく一方で、炭酸飲料は新たな展開も見せはじめていた。南北戦争以降、薬剤師たちが“奇跡の薬”の開発を目指すなかで、現在につづく飲料が誕生していく。

アメリカの酒文化を語る上で禁酒法は避けて通れない。コーラの発明者として知られるジョン・ペンバートンもある意味、禁酒法に翻弄された。

南北戦争時、ペンバートンは南軍の軍人であったが、その後ジョージア州コロンバスで化学者、そして薬剤師として活躍した。退役軍人の間では戦争後遺症による薬物中毒や、うつ病が増えていった。女性たちには神経衰弱症で苦しむものが多かった。

ペンバートンはコカインやカフェインの研究をしており、フランス産のワインにコカの成分の抽出物やハーブを混ぜた「フレンチワイン&コーラ」(1880年前後)を開発する。神経衰弱や胃腸、腎臓の痛みに効果があるとして、調合薬として売り出すと一大ブームを巻き起こした。

ところがすでに禁酒党が結成(1869年)され、酒類を違法にする動きが全国で高まっており、薬剤師たちはノンアルコールの代用品の開発をはじめる。ペンバートンも研究を重ね、1885年にジョージア州のアトランタとフルトン郡が禁酒法を施行すると、彼は翌86年に「フレンチワイン&コーラ」を改良してソーダ水を加えたノンアルコール飲料を開発する。これが現在の清涼飲料、コーラのはじまりである。

ブランド名のアタマにDr.と付けられたものがあるのは、薬剤師としての権威づけであり、当時は消化を助け、精力、活力をよみがえらせると謳っていた。

日本ではあまり馴染みのないルートビア(Root Beer)は1893年に瓶詰め炭酸飲料として発売されているが、元々は1866年、チャールズ・エルマー・ハイアーが草根木皮やハーブを材料にして開発、10年後のフィラデルフィアでの建国100年祭で紅茶に入れる粉末として発表した。これは咳止めや消炎などの薬効を期待されたものだった。

このように19世紀の間、炭酸飲料はずっと薬効があると信じられ、さまざまな材料を使い、さまざまな個性的な風味を持つブランドが誕生していった。言い換えれば、ソーダ水で割る飲料をアメリカ人はどこの国民よりも愛し、そのDNAは現在に受け継がれている。

いまでも体調が悪くなったりすれば炭酸飲料を飲む習慣が残っている。

(第64回了)

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