バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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スプリング・ウォーター

日本では角ハイボールを主役として、ウイスキー&ソーダという飲酒スタイルがしっかりと定着している。では炭酸飲料大国でもあるアメリカはどうなのかというと、ジャパニーズウイスキーが海外で注目され、人気が高まっていくほどにサントリーウイスキーのソーダ割を飲む人たちも生まれ、またバーボン、とくにジムビーム・ハイボールを飲む人たちも増えてきたと聞く。

アメリカは“何でも混ぜちゃえ”のお国柄。その昔はウイスキーのコーラ割やジンジャーエール割がよく飲まれていたし、いまではバーボンを炭酸飲料で割るだけでなくオレンジ、グレープフルーツ、クランベリーやトマトジュースで割ったりと、自分のお好みのスタイルで楽しんでいる。

さて今回からはアメリカの炭酸飲料の歴史を語ってみようと思う。なぜ炭酸飲料大国になったかを探ってみたい。では、まず炭酸水の歴史をざっくりと眺めてみることにする。

ここからの話のお相手には「ノブクリーク」&ソーダがふさわしい。このクラフトバーボン・ハイボールはひと味もふた味も違う。独特のコクのある甘さはクセになる。ちょっと贅沢な気分にしてくれる味わいだ。

 

ヨーロッパでは天然の湧水である炭酸水を飲む習慣が古くからあった。炭酸水は病気に効くといわれていた。

1750年、フランスのヴェネルという大学教授が果汁の入った水に重層を加えた炭酸水(ソーダ水割レモネードのはじまりとの見解がある)を医療用に提供しはじめる。やがてヨーロッパの科学者たちは炭酸飽和というプロセスを利用して、炭酸ガスを人工的に水に溶かす方法を研究するようになる。

1769年、イングランドのジョゼフ・プリーストリーが水に二酸化炭素が溶け込むことを発見。1771年にはスウェーデンのトルビョルン・ベリマンもプリーストリーと同じような炭酸水の製法を発明する。

1771年頃に炭酸水にキニーネをはじめ香草、果皮を配合したトニックウォーターが開発され、イギリスが統治する熱帯の植民地で医療効果が高い飲料として飲まれはじめたといわれている(1771年という誕生年は不確実、その前後)。

1783年、炭酸ミネラルウォーターの製造機械を発明したドイツ人のヨハン・ヤコブ・シュベッペがスイスのジュネーブでシュウェップス社を創業した(1799年に会社を売却。社名は残る)。1813年にはイングランドのチャールズ・プリンスがソーダサイフォンの原型を開発している。

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