バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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ロスト・ジェネレーション

アメリカで異質さの度を超えた有名人が続々と登場したのが1920年代、禁酒法下でのことだった。素晴らしくナンセンスな時代と呼ばれる社会背景とメディアの発達の歩調が合致してしまったことによる。少なからず、禁酒という抑圧された歪んだ状況が彼らを生んだと言えなくもない。

当時は新聞に名前が出さえすれば名士であるといわれる時代だったが、それに加えラジオの登場による影響が大きかった。まさに1920年、禁酒法が施行された年の11月にペンシルバニア州ピッツバーグでWH社(ウエスチング・ハウス)による最初の実験放送が開始され、2年後に正式免許を取得した。同時に全米のラジオ放送局の数はいきなり500局を超えたらしい。

ハリウッドの活況が映画スターを生み、新聞、ラジオが銀幕の彼らを取り上げるのみならず、政治家やプロスポーツマンはもちろん、犯罪者であろうと、報道されればみんな有名人として扱われた。一般市民は魔法にかけられたかのようにその人物に注目した。

こうなると、やたら目立とうと躍起になる輩が増えていく。あちらこちらで愚行におよぶ人々が出現し、なんの益もないイベントが開催されたりもした。

ここからはバーボン&ソーダを飲みながらお読みいただきたい。ハイボールの軽快さ、爽快さで時代が生んだ可笑しな連中を笑い飛ばしていただきたい。バーボンは滑らかな心地よい香味のものに。いまを生きるわたしたちは力むことなく、そう深く熟成したジムビーム ブラックのハイボールでリラックスしながらゆったりとした時を過ごそう。


さて、たとえばダンス・マラソン。『ワールド』誌は1923年に「これまでおこなわれたコンテストのなかで、これほど馬鹿げたものはない」と書いている。

数千ドルの賞金がかけられており、出場者たちは勝つためには手段を選ばない。パートナーを眠らせまいとぶったり蹴ったり、ライバルの飲み物に睡眠薬や下剤を入れたりもしている。3週間も踊りつづけたという強者たちもいた。

1週間もすると女性のなかにはダンスの相手を憎むようになる者も出る。パートナーの男性の顔を見て、大声でわめきちらすという行動を取りはじめる。さらには疲労のために生死の境をさまよう参加者もいた。

ヨーヨー、ローラー・スケートが流行し、それらに関するイベントはまだまともだったが、他にはロッキングチェア・ダービーとか豆食い、キス、おしゃべりといったコンテストもあって、チャンピオンを目指したい人々が大勢いた。すべては有名人になりたいという願いからだ。

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