1920年代は、どこかお祭り騒ぎで毎日がパーティーのようだった。“金ピカの時代”“素晴らしきナンセンスの時代”“ジャズ・エイジ”とさまざまに形容されるローリング・トウェンティーズの象徴的存在となったのが作家スコット・フィッツジェラルドである。
禁酒法施行の年の1920年、彼は処女作『楽園のこちら側』(THIS SIDE OF PARADISE)でベストセラーを生んだ。弱冠23歳で出版したこの作品は、戦後の新しい風潮や愛のかたちをショッキングに描いた最初のものだった。
私生活も、5年後に発表した『グレート・ギャッツビー』の作品そのままに、妻のゼルダと自由奔放なパーティー生活を送る。青春の反逆者のようにふるまい、実際、禁酒を声高に叫ぶ古い世代への反抗のシンボル的存在であった。
彼の小説の傍らで脚光を浴びはじめたのが映画である。1910年、映画の町ハリウッドの人口は5,000人ほどだった。1929年には30倍強の15万9,000人にふくれあがっている。
それでも1918年に第一次世界大戦が終了したとき、映画産業はしばらく落ち込んだ。スペイン風邪が猛威をふるったこともあり、映画関係者も多く他界した。ところが終戦後の古いモラルから脱しようとする社会の気運と禁酒法がハリウッドに活気をもたらした。
戦時中に抑えられていた欲望を弾きだすかのように皆がエンターテインメントを求めた。ゴルフ、テニス、水泳、チャールストンなどなど。多くの娯楽は男性のものだけではなくなり、とくに若い女性、フラッパーの時代となる。
フラッパー(Flapper)とは翼をバタバタさせるヒナ鳥のことで、もともとは“オテンバさん”くらいの意味でしかなかった。ところが20年代には流行語となり、新しい女性を指すようになった。
束縛から解放されようとする女性たちは髪を切り、コルセットをはずし、スカート丈を短くし、ハイヒールを履き、口紅やマニュキアを塗り、禁酒法下でグラスを傾けた。そして映画鑑賞である。
酒類に関連した産業の金の動きが見込めなくなり、新しい投資先としてクローズアップされたのが映画だった。ウォール街は映画産業が伸びると読むや投資を開始し、ハリウッドは銀行から大きな融資が得られるようになった。そのおかげで映画館が充実して綺麗になり、安全で心地よく、女性だけでも出かけられる場所となっていく。