前回、“イット”ガールのクララ・ボウには「メーカーズマーク・オレンジモーニ」の味わいがふさわしい、と述べた。今回紹介する女性は「メーカーズマーク・グレープフルーツモーニ」がよく似合うような気がする。
その女性とはジョーン・クロフォード。1920年代、ローリング・トウェンティーズを象徴する作家スコット・フィッツジェラルドによれば“ジョーン・クロフォードは紛れもなくフラッパーの典型”ということになる。
禁酒法下の洒落たナイトクラブで見かける女性。洗練されたファッションに身を包み、うるんだ大きな目をして素っ気なく、かすかに皮肉な表情を浮かべながら氷の入ったグラスをもてあそぶ。そして踊り、笑い、人生を存分に楽しむ若々しく新しい女性像、ザ・フラッパー。これがジョーン・クロフォードの姿らしい。
彼女はクララ・ボウの映画『It』がヒットした翌年、1928年の映画『踊る娘たち』に出演して一躍人気スターとなった。
観客のフラッパーたちはクロフォードの酒の飲み方、キスの仕方を息を飲んで見つめた。チャールストンを踊る彼女の手や足の動きに魅了された。自分たちもスクリーンで繰り広げられる彼女の狂態を真似することで、青春を存分に謳歌しようとした。
映画の途中に席を立ち、外に出て行ってしまうカップルが多かったらしい。とくに熱烈な求愛を扱ったシーンの後にその行動が見られたという。
女性のファッションは20年代に大きく変化した。現代のファッション・システムが確立したともいえ、毎年のパリの流行がすぐさま伝えられるようにもなった。スカート丈だけを見ても女性たちの意識の変化がうかがえる。
1920年にある服飾評論家が『ニューヨーク・タイムズ』紙に「アメリカの女性は、慎みの限度をはるかに超える短いスカートをはいている」と書いた。しかしながらそのときはまだ、裾が地面から7インチ(約18センチ)上がった程度のことだった。それでも慎みの限度を超えていたのだ。
ファッション業界がロングスカートを復活させようと努力してみたのだが、時の勢いを止めることはできなかった。1921年からしばらくはスカート丈の変化はわずかなものだったが、23年秋頃からフラッパーたちはできるだけ短いスカートをはこうとする。パリのドレスメーカーがロングスカートの復活を予告すると、アメリカの業界関係者はそれに従おうとしたが失敗に終わる。