『Hibiki』Vol.5 2018年10月1日発行

ウィーンから、幸せな響き

モーツァルトやベートーヴェンやブラームスが暮らし、
類希なる音楽を生んだ街。
世界有数の歌劇場やコンサートホール、世界最高峰のオーケストラウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。
ウィンナ・ワルツの華麗な舞踏会が新年の訪れを告げる……
そんな「音楽の都」ウィーンから今年も11月にウィーン・フィルが、
年末年始にはウィーン・フォルクスオーパー交響楽団がサントリーホールにやってきます!

© Terry Linke
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地、ウィーン楽友協会「黄金の間」の舞台。

ウィーン・フィルとの出会い

日本に初めてウィーン・フィルがやって来たのは、昭和半ばの1956年でした。その甘美な調べはたちまち聴衆の心を虜にし、以来、日本で最も待ち望まれるオーケストラとなりました。
そして30年後。86年10月12日にサントリーホールが誕生します。オープニング・シリーズでは、小澤征爾指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、内田光子によるモーツァルト・ピアノ協奏曲全曲演奏会など、音楽界の巨星が続々と登場。そのトリを飾ったのが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による、ベートーヴェン交響曲チクルス(全曲演奏会)だったのです。指揮はクラウディオ・アバド。当時最高の組み合せによる珠玉の音色が、連日5日間も、生まれたばかりのホールに響きわたりました。87年3月。最初の出会いです。
同年、多くの熱烈なファンにより「日本ウィーン・フィル友の会」も発足。会長を買って出たのは、東京初のクラシック音楽専用ホール設立に、ありったけの情熱を注いだ、サントリーホール初代館長・佐治敬三でした。

サントリーホールでの記念すべき第1回『ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン』の指揮者は、ウィーン・フィルと蜜月なマエストロ、リッカルド・ムーティ。

夢の企画、始まる

歴史あるウィーン・フィルが150周年を迎えた1992年、記念すべき世界ツアーが行われ、サントリーホールもその一会場に選ばれました。その後も、日本公演のメイン会場として、オーケストラとの親密な関係を育んでいきます。
そして今度はサントリー創立100周年となる99年、『ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン』がサントリーホールで始まったのです。ウィーン・フィルをサントリーホールが定期的に招聘。ほぼ毎年、日本でウィーン・フィルの演奏を、当代一流の指揮者によって聴くことができる、クラシック・ファンにとって夢のような企画です。演奏会だけではありません。ウィーンの長い音楽の伝統を、サントリーホールを通じて日本に残してほしい……そんな思いから、いくつもの特別企画が生まれました。音楽を学ぶ日本の若者たちにウィーン・フィル首席奏者が直接レッスンを行う「公開マスタークラス」、ウィーン・フィルの音づくりに触れられる「無料公開リハーサル」、中高生のためにオリジナルプログラムで行われる1時間コンサート「青少年プログラム」などなど。
「サントリーホールが誕生したことで、日本とのつながりはより一層深いものになりました。家族のような関係ですね」
と、ウィーン・フィル前楽団長でヴァイオリン奏者のアンドレアス・グロースバウアーさんは言います。事務局長でコントラバス奏者のミヒャエル・ブラーデラーさんは、サントリーホールを「第二の我が家」と呼び、チェロのロベルト・ノーチさんは、「私の楽器がこれほど心地よく響くホールはサントリーホール以外ありません」とまで。
「日本は私たちのアジアでの故郷」と口を揃える彼らは、日本での定期的な演奏会を心待ちにしています。

サントリーホール開館30周年記念ガラ・コンサートも、ウィーン・フィル。ズービン・メータと小澤征爾の指揮。

様々な楽器パートの首席奏者が、日本の若手奏者にウィーン・フィルの伝統を伝授する公開マスタークラス。写真は、コンサートマスター(当時)ライナー・キュッヒル氏による弦楽四重奏のレッスン。

歴史的オーケストラ

ウィーン・フィルの歴史は、ウィーンで活躍した天才作曲家ベートーヴェン没後15年の1842年に遡ります。当時まだ稀だった交響曲の演奏会を行うために、ハプスブルク家の宮廷歌劇場楽団員によって組織された管弦楽団(フィルハーモニー)が始まりです。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンが遺した偉大な交響曲を、さらにはブラームスやブルックナーら同時代の作曲家が生み出す新しい音楽を演奏するオーケストラとして、ウィーン・フィルが誕生したのです。
本拠地は、かのウィーン楽友協会(ムジークフェライン)。ウィーン・フィル正団員になれるのは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の一員としてオペラ公演で3年以上腕を磨いたメンバーのみ。演奏会のプログラムや指揮者の選考など、楽団に関するすべてを楽団員150名の総意で決定する民主的自主運営の伝統が、今日まで176年間続いている、希有なオーケストラです。

© Österreich Werbung, Photographer:Sebastian Stiphout
ウィーン・フィルの本拠地、ウィーン楽友協会。1870年に竣工。世界最高峰のホールのひとつ。

ウィーン気質

ウィーンの人々にとって音楽は誇りであり、最良の楽しみ、人生になくてはならない大切なもの。ウィーン国立歌劇場(オペラ座)、ウィーン・フォルクスオーパー、アン・デア・ウィーン劇場など名だたる歴史的劇場が点在し、今もオペラやオペレッタの上演レパートリーが世界一多い街とも言われます。そして大晦日には必ず、“オペラの殿堂”国立歌劇場か“民衆の愛する歌劇場”フォルクスオーパーのいずれかで、オペレッタ『こうもり』を楽しむのが伝統です。
詳しくは『Hibiki』Vol.2をご覧ください。
それぞれの劇場で日夜演奏しているのが、ウィーン・フィルのメンバーが在籍するウィーン国立歌劇場管弦楽団であり、片や、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団です。オペラを奏でるのが日常の2つのオーケストラ団員が、シーズン中に本拠地ウィーンを離れ、毎年のようにサントリーホールの舞台に登場してくれるのは、奇跡的なことかもしれません。さらにそれは、日本でしか聴くことのできない特別な演奏会なのです。
とくに今年の『ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン』では、オープニング公演にかつてない「室内楽スペシャル」を企画。彼らが熟知したオペラの名曲の数々を室内楽で謳うという趣向です。日頃から仕事以外のリラックスした時間にも、数人集まればアンサンブルを楽しむというウィーン・フィルのメンバーが、こぞって登場。弦楽アンサンブル、木管アンサンブル、ホルン四重奏、打楽器アンサンブルなど、ほぼすべての楽器による様々な編成が揃います。木管や金管楽器だけの室内楽は珍しく、とくにウィーンならではの伝統楽器ウィンナ・オーボエやウィンナ・ホルンの音色をじっくり堪能できる貴重な演奏会です。ヴァイオリン奏者で楽団長のダニエル・フロシャウアーさんも、
「こんなに凝ったプログラムの室内楽コンサートは、ウィーンでもなかなか実現できません。今年のイチ押し公演です」
と愉快そうに話してくれました。日本でのウィーン・フィルの活動で、もうひとつ特筆すべきは、「ウィーン・フィル&サントリー音楽復興基金」です。2011年、東日本大震災のニュースに心を痛めたウィーン・フィルが、復興のためにと多額の寄付を申し出てくれたのです。その心意気に、サントリーホールディングス株式会社も賛同して同額を寄付、この基金が成立しました。以来、東北や熊本などの被災地をはじめ、日本全国に音楽を通じて復興を支援したいと、献身的な活動を続けてくれています。
開館以来、共に大切な時間を積み重ねてきたなかで、ウィーン・フィルは日本の聴衆の皆さんや風土を愛し、日本に来るのを本当に楽しみにしているのです。

© Terry Linke
「室内楽スペシャル」では、ウィーン・フィル伝統の歌心を、特別なアンサンブルで聴かせてくれます。

2017年4月、熊本城二の丸広場にて行われた復興祈念コンサート。開館以来のウィーン・フィルとの交流には、心温まるエピソードがたくさんあります。

日本とウィーン

それは、この20数年間サントリーホールの年末年始を毎年華やかに彩っている、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団のメンバーも同じです。創立101年の同楽団は、本拠地フォルクスオーパーでは常にオーケストラピットの中。団員が顔を見せることはなく、舞台上の歌手を支え盛り上げる演奏の裏方に徹します。他方、サントリーホールのジルヴェスター(大晦日)およびニューイヤー・コンサートでは、舞台の上で、歌手やバレエダンサーと一緒になって、優雅な空間をつくりあげます。今回のプログラムも、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ『ウィーン気質(かたぎ)』やポルカ・シュネル『雷鳴と稲妻』など、心愉しい名曲揃い。ウィーンと日本の文化が混ざり合って、晴れやかなお正月を迎えるのです。
悲喜こもごもの人生を謳うオペラ、オペレッタの名手たちだけに、ウィーン・フィルもウィーン・フォルクスオーパー交響楽団も、ひとりひとりが皆、温かく人間味溢れる音楽家。そんな素顔も感じながら、ウィーンの薫りただよう極上の演奏をご堪能ください。

今年末のウィーン・フォルクスオーパー交響楽団『ジルヴェスター・コンサート』は、日墺友好150周年の皮切りともなります。

日墺友好150周年

2019年、ウィーンを首都とするオーストリアと日本は友好150周年を迎え、それを記念して数々のイベントが行われます。音楽や美術、食文化……さまざまな交流の歴史と、姉妹都市関係が30以上もあるという両国の強い結びつきを、改めて感じる年となりそうです。ウィーン国立歌劇場(当時は帝立・王立宮廷歌劇場)が完成した1869年に、国交が結ばれたというのも、なにか音楽的な深い縁を感じます。
サントリーホールにもよく足を運んでくださる、駐日オーストリア大使にお話を伺いました。

フーベルト・ハイッス
駐日オーストリア大使

フーベルト・ハイッス駐日オーストリア大使

撮影・森口奈々

サントリーホールを訪れるたびに、ふるさとに帰ったような気がします。ザルツブルクが生んだ巨匠カラヤンの名がつけられた広場の、”Herbert vonKarajan Platz” というプレートも、ウィーンを感じさせます。大ホールの設計にはカラヤン氏のアドバイスが活かされています。オルガンはオーストリアのリーガー社製、客席の生地は1900年代のウィーンを彷彿とさせるデザイン。すばらしい音の響き、温かな雰囲気をもつこのホールとオーストリアがつながっていることを、大使としてとても誇りに思います。
そして、日本の皆さんにオーストリアの伝統を非常に高いレベルで体験していただけるのは、とても嬉しいことです。私も、昨年の大晦日はウィーン・フォルクスオーパー交響楽団のジルヴェスター・コンサートを大いに楽しませていただきました。日本の皆さんの、作曲家や作品に対する知識の豊富さにも驚きます。すばらしい聴衆です。
日墺友好150周年となる来年は、クラシック音楽のコンサートも数多く企画されていますし、没後100年となるクリムトやエゴン・シーレの作品を紹介する展覧会や、ハプスブルク家所蔵の美術展を東京で開催します。10月には大統領が来日、政治経済の分野でもさまざまな交流が行われる予定です。
このすばらしい友好関係が、さらに深まっていくことを願っています。(談)