2023年7月22日(土)~9月18日(月・祝)
※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF) をご参照ください。
※作品保護のため、会期中展示替を行います。ポスター等に掲載している伊藤若冲《菜蟲譜》の展示期間は8月9日~9月18日で、期間中に場面替があります。
※サントリー美術館では入館のための日時指定予約を行っておりません。ご希望の日時にお越しください。
※展覧会会場では、章と作品の順番が前後する場合があります。
古くから日本の物語や和歌には多くの虫たちが登場してきました。主人公を助ける名脇役となり、時には自ら和歌を詠んでその優劣を競い、またある時は人間さながらの恋愛劇を演じるなど、虫たちは多彩な活躍を見せます。
特に、現代でも多くの人々が知る『源氏物語』『伊勢物語』において、鈴虫、松虫などの鳴く虫や蛍は、登場人物の心情を表すといった重要な役割を果たしています。また、嵯峨野周辺を散策して鳴く虫を捕まえ、宮中に献上する虫撰も行われるようになりました。宮廷を中心に鳴く虫や蛍を愛でる文化は発展し、虫聴と蛍狩が日本の歳時記となる礎が築かれました。本章では、物語に登場する虫たちにスポットライトを当て、文芸と深く結びついた日本の虫たちの姿をご覧いただきます。
酒器、染織品、簪などの身近な道具には、蝶、蜻蛉、鈴虫、蜘蛛など様々な虫たちがあしらわれてきました。人々は虫たちの優れた造形に美を見出し、または季節の移り変わりを感じることの出来るモチーフとして好んで用いたようです。時には、2匹の蝶が仲睦まじく飛ぶ様子が夫婦円満を意味する文様となるなど、虫の行動と当時の人々の願いが結びつくこともありました。とりわけ蝶は古くから縁起の良い生き物としても知られ、更に散らし模様として意匠化を行いやすいという面もあったため、文様として特に幅広い発展を遂げました。本章では江戸時代を中心に、生活に用いる道具を彩った虫たちの姿をご紹介します。
草虫図は中国で成立した画題です。画中には多種多様な草花と虫が描かれており、それぞれが立身出世、子孫繁栄などの吉祥を表しています。また、『論語』の中に孔子が弟子・陽貨に詩を学ぶ意義について説いた一節があり、そこでは「詩を学ぶことで鳥、獣、草木の名前を多く知ることが出来る」とされています(『論語』陽貨・第17)。それが多くの生き物を知り、自らの知識を増やすことを奨励する思想につながり、草虫図が愛好される理由のひとつとなりました。
中国最初の本格的な画史書である『歴代名画記』によれば、中国の六朝時代(3~6世紀)には虫が絵の主題として取り上げられ、唐時代(7~10世紀) には草虫を描く者があらわれたようです。北宋時代末頃には草虫図が画題として確立し、南宋時代(12~13世紀頃)は毘陵(現:江蘇省常州市)でより盛んに描かれるようになり、草虫図はこの地域の名産品となりました。以降、清時代に至るまで描き継がれており、草虫図という画題が非常に人気を集めた様子がうかがわれます。
また、中国で制作された草虫図は海を渡って、日本へと伝来し、将軍や大名など時の権力者たちに愛蔵されました。そして、日本の絵師たちも草虫図を学び、影響を受けました。草虫図が中国で画題として確立し、日本で愛好された様子をご紹介します。
虫の音を愛する文化は、宮廷を中心に育まれていました。そして、江戸時代中頃に入ると野山へと出かけ虫の音に耳を澄ませる虫聴、夕暮れ時に蛍を追う蛍狩は、市井の人々に親しまれる風雅な娯楽となりました。江戸の道灌山や根岸が虫聴や蛍狩の名所として知られ、老若男女がこぞって出かけ、思い思いに楽しんでいる様子が当時の浮世絵や版本に表されています。また、市中には籠に蛍や鳴く虫を入れて売り歩く虫売りがあらわれ、夏の風物詩となりました。当時は、お盆の頃に捕らえた生き物を放し供養する放生会のために購入されることもあったようです。虫を入れる籠には趣向が凝らされており、虫の音を楽しみ愛玩していた様子を感じることができます。
本章では、蛍狩、虫聴が娯楽として広まり、やがて江戸の年中行事として息づいていく様子をご紹介します。
江戸時代は本草学や、書物に登場する動植物の名前を同定する名物学が進展し、西洋の科学技術が流入した時代です。季節のうつろいを感じさせ、古くから詩や歌のモチーフとなった虫も研究対象となりました。特に18世紀以降には、飛躍的な進歩がみられます。第八代将軍徳川吉宗が洋書の輸入制限を緩和し、全国的な動植物の調査を行いました。この政策の影響もあり、大名、旗本が中心となり、優れた博物図譜が制作されました。虫の特徴を的確に捉えた精緻な図譜からは、当時の制作者と鑑賞者が感じたであろう新たな知識を体得する喜びが感じられます。また、『論語』に由来する「多くの生き物を知ることを奨励する」思想は受け継がれ、より多くの虫たちが画中に登場するようになりました。そしてこの学問の進展は狂歌や俳諧などの文芸と結びつき、喜多川歌麿『画本虫撰』のように優れた狂歌絵本を生み出しました。
一方で、中国から伝来した草虫図も尊重され、研究が続けられました。西洋の技術の流入、本草学などの学問の発展、古画学習、文芸などが影響しあい、草虫図という枠組みを越えた多彩な虫の絵が江戸時代に制作されました。伊藤若冲、酒井抱一、喜多川歌麿、葛飾北斎などこの時代を代表する絵師たちが虫をモチーフとして取り上げ、活況を呈した江戸時代の草虫図をご覧ください。
明治時代以降も虫たちは頻繁に美術作品のモチーフとなりました。これまでの伝統に基づきながら、西洋からの影響を受け、新たな息吹を吹き込まれた作品が生み出されています。また、江戸時代に年中行事として人々の生活に溶け込んだ虫聴、蛍狩は、明治時代以降より一層広がっていきました。この様子は当時日本を訪れた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)などの海外の人々を大いに驚かせたようです。現代において蛍狩、虫聴はかつてよりは人気が衰えましたが、虫を見つめる手法はより進化を遂げ、今も絶えず新しい表現が生み出されています。現代に生きる我々の中にも虫めづる精神が受け継がれている様子を示します。
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