箱は、中に入れるものが大切なものほど、美しく飾られます。それは、私たちが思い浮かべる「宝箱」が常に豪華であることにも表れています。宝石や高価な化粧道具など、大切で価値あるものを入れる箱を美しくしたいと思う心理は、昔も今も変わりません。
それを象徴するのが、平安時代以降、大切な手回り品を入れる箱として使われてきた手箱です。中国における櫛や鏡などを入れた唐櫛笥(からくしげ)が原型とされ、化粧箱の性格を色濃く引き継ぐことから、女性の調度の中でも主要な位置にあって、「ハレの調度」として華やかな意匠こそふさわしいものです。一方で、神様への捧げものとしても中心的な具であり、贅を尽くしてきらびやかに仕立てられた手箱は、「神々の調度」とも呼ばれます。
一方で、これらの箱は、本来の内容品のための箱から、しばしば美しい箱それ自体に価値が置かれるようになり、後世には収集・愛蔵の対象ともなっていきます。ここでは人々を魅了してきた、玉なる手箱の数々をご覧いただきます。
「玉手箱」といった時、私たちは美しい箱ということのほかに、開けてはならない秘密の箱という意味合いも想起します。蓋の閉じた見知らぬ箱を開けることは、現代においても少なからぬ不安を覚えるものです。そのためか、浦島伝説を筆頭に、古来、箱を巡る不思議な説話は数多くあります。
また、化粧箱としての手箱を考えた際、「化生(けしょう)」にも通じる化粧や、『古事記』の「黒御鬘(くろみかずら)」の神話をひくまでもなく、古代の櫛が魔除けなどの呪術的な道具であったことを思えば、それを入れる手箱にもある種の呪力が宿ると考えられたことは想像に難くありません。古代の墳墓や仏像の像内に、櫛などを納める意味とも無関係ではないでしょう。
本章では、山幸彦・海幸彦神話の残る地に「玉手箱」として伝承される《松梅蒔絵手箱(まつうめまきえてばこ)および内容品》(枚聞(ひらきき)神社蔵)など、箱についての不思議な説話にまつわる品々や、仏像の像内に納入されていた貴重な古代の化粧道具類をご紹介します。
平安時代に生まれた手箱は、化粧道具のほか、扇や冊子など様々な身の回りのものを入れるための箱として、生活に密着した調度でした。そこでの手箱は華麗に装飾された“玉なる手箱”ではなく、日常使いに適したシンプルなものがほとんどでした。
宮中の公事における調度、室礼(しつらい)などを記した『類聚雑要抄(るいじゅうざつようしょう)』は、平安時代後期の衣食住の様相を伝えるもので、それを指図として表したのが《類聚雑要抄指図巻(るいじゅうざつようしょうさしずかん)》です。そこで描かれる手箱を参照しつつ、本来手箱の内容品の一部であったと思われる鏡箱、各種香合などを集め、当時の生活の中にあった手箱の姿を見ていきます。また、ほかの化粧道具や調度の一部についても各種絵画資料と合わせてご紹介します。
《浮線綾螺鈿蒔絵手箱》に見られる浮線綾文は、平安時代以降、家格や位階(いかい)に応じて公家の服飾、調度につけた有職文様(ゆうそくもんよう)と呼ばれるものの一つです。日本の文様の基調をなすとされるほか、それ以上に貴族社会における特殊な宮廷礼法の中で、社会的な意味を持つ記号として非常に重要なものでした。
浮線綾とは、もとは文様を浮き織りにした綾(あや)織物を指すもので技法名として使用されていたようですが、その後浮き織りでなくとも特定の唐花円文(からはなえんもん)の名称となり、平安時代末頃以降は文様名として使われました。唐花の要素を蝶に見立てた臥蝶文(ふせちょうもん)と呼ばれるものや、唐花が菊花に近いものなどいくつかバリエーションがあるほか、藤円文などの類例も挙げられます。
ここでは、屛風などの絵画資料を合わせつつ、浮線綾文を中心に、桐竹鳳凰麒麟文(きりたけほうおうきりんもん)や三重襷文(みえだすきもん)、小葵文(こあおいもん)などほかのいくつかの有職文様について、それらが表される装束や鏡などの工芸作品によってご紹介します。
もともと、容易に認識できるものではなかった日本の神々が、やがて人間の姿で表されるようになると、社殿において不自由ない暮らしができるようにと服飾調度類が奉納されるようになりました。それら工芸品を「神宝」と呼びます。その形式は、奉納する側である宮廷の人間の生活形式に準じるため、当代の宮廷工芸にしたがう品々となります。代表的調度である手箱を、神宝として奉納するのもこの理由によるものです。
和歌山県の熊野速玉大社に古神宝として伝わった手箱は、明徳元年(1390)に室町幕府の主導のもと調進・奉納された服飾調度類のうちのもので、計13合のいずれもが、内容品を含め豪華な仕立てとなっています。特に神格の高い結宮(むすびのみや)・速玉宮(はやたまのみや)・証誠殿(しょうじょうでん)に奉納されたとおぼしき手箱には、沃懸地(いかけじ)という《浮線綾螺鈿蒔絵手箱》にも見られる金粉を密に蒔き詰めた最も華麗な蒔絵技法が用いられ、「神々の調度」と呼ばれる手箱にふさわしい装飾がなされます。本章では、名だたる神社に伝えられた神宝から、手箱や服飾調度類を展示し、特別に仕立てられた宮廷工芸の形式を伝える品々をご覧いただきます。
本展では、トピック展示として、このたびの《浮線綾螺鈿蒔絵手箱》の修理や光学調査の成果を生かしながら、手箱に駆使された高度な技を詳しく紹介するとともに、それに関連して近現代の名工たちが手がけた名品手箱の模造を展示します。
特に近代以降行われてきた模造活動は、単なるかたちの模倣ではなく、それにより造形精神や技法を学び、新たな創造の原点となるもので、さらには伝統技術の伝承の場ともなる意義深いものです。過去から今、そして未来に伝承されていく精神と技を、模造作品を通して間近にご覧いただきながら、制作当初の輝きに満ちた名品手箱による豪華な空間をお楽しみください。