2014年6月11日(水)~7月21日(月・祝)
※作品保護のため会期中、展示替をおこなう場合があります。
※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。
兼好は、神官である卜部兼顕(うらべかねあき)の子として、弘安6年(1283)頃に生まれ、二十代の前半には六位の蔵人(くろうど)として後二条天皇(1285~1308)に仕えました。三十歳以前にはすでに出家し、少なくとも七十歳過ぎまで生きたと考えられていますが、兼好の経歴については歴史資料が乏しく、あまり詳しいことはわかっていません。
兼好は生前、二条為世(にじょうためよ)(1250~1338)に師事する歌人として世に知られていました。しかし、兼好が『徒然草』の著者であるという記録は、当時の文献には記されておらず、しばらくは鑑賞の形跡をたどることができません。『徒然草』の成立時期や成立過程もいまだ明確ではないのです。
『徒然草』は、鎌倉時代末期頃に成立した後、約100年経った室町時代になってから、次第に歌人や連歌師たちによって、共感をもって迎えられるようになりました。そして江戸時代になると、江戸幕府の学問奨励や印刷技術の発達を背景に、一気に幅広い読者層を獲得しました。
本章では、兼好の人物像に迫るとともに、「古典」の代表作に上り詰めるまでの、『徒然草』享受の歴史をたどります。
『徒然草』の本格的な享受は慶長年間(1596~1615)に始まると考えられ、江戸時代になると、『徒然草』は研究、鑑賞、そして創作への応用など、さまざまな分野で多様な展開を示すようになりました。そうした流布の過程で、『徒然草』も絵画化されるようになります。『源氏物語』を描いた〈源氏絵〉、また『伊勢物語』を描いた〈伊勢絵〉に倣い、〈徒然絵〉とも呼ぶべき絵画作品の登場です。
本章では、絵巻や屏風、画帖といった多様な形態、そして狩野派や土佐派、住吉派などあらゆる流派によって描かれた〈徒然絵〉の諸相をご紹介します。
当館では近年、海北友雪筆「徒然草絵巻」二十巻が館蔵品に加わりました。〈徒然絵〉といえば、『徒然草』のなかでも人気のある章段を選択し、数場面を描くことが一般的ですが、本絵巻は、『徒然草』のほぼ全段を絵画化している点でたいへん貴重な作品です。
17世紀半ば以降、『徒然草』は244の章段に区切ることが常識化し、各段は独立して鑑賞されることが多くなりました。しかし、『徒然草』の生成過程を想起しながら章段の連続性に注意を向けることで、一見散漫な雑纂形式のなかにも、兼好がどのような内面性に根ざして『徒然草』を執筆したのか、その思いにどのような変化・深化が生じたのか、連想の糸が見えてくるのです。
本章では、海北友雪筆「徒然草絵巻」を通して、一度は読みたい、今こそ知りたい『徒然草』の名場面をたどります。
海北友雪(1598~1677)は、桃山時代を代表する画家の一人・海北友松(かいほうゆうしょう)(1533~1615)の子です。友雪は十八歳の年に父を亡くし、その後の苦境の間は、絵屋(または小谷)忠左衛門と自称し、絵屋を営んでいました。やがて、三代将軍・徳川家光の乳母として仕えた春日局が友松からの旧恩に報いようととりなし、友雪は御用絵師を務めるようになりました。
友雪の画域が、漢画や大和絵、仏画や縁起絵など幅広いのは、需要に応じて制作していた絵屋時代の経験が生かされています。本章では、多岐にわたる画風・主題の作例を通して、「徒然草絵巻」二十巻を描いた友雪がどのような絵師であったのか、その画業を概観します。
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