2014年1月25日(土)~3月16日(日)
※作品保護のため会期中、展示替をおこなう場合があります。
※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。
オランダ東インド会社によってヨーロッパへ運ばれた最初の磁器は、中国のものでした。しかし明・清王朝交代に伴う内乱で、清によって海禁政策が打ち出されると、生産の中心であった景徳鎮からの磁器輸出が激減し、オランダ東インド会社はそれに代わるものとして、中国の技術を取り入れた有田の磁器に目をつけます。有田は、オランダ東インド会社による厳しい品質基準の注文を受けてさらにその技術を高め、景徳鎮磁器に勝るとも劣らない品質の磁器をつくり出しました。そして1659年から、本格的にヨーロッパに向けた伊万里の輸出が始まりました。
当時輸出された伊万里には、景徳鎮磁器を見本としたものや、ヨーロッパの陶器などの器形に基づいた食器や飲用器といった実用品が多く、染付の割合が高くなっています。なかでも、明末に景徳鎮からヨーロッパ向けに大量輸出された芙蓉手(ふようで)皿の写しはその代表であり、同意匠のものが複数のサイズでつくられました。また、注文生産だけでは需要がまかないきれなかったのか、この時期日本国内向けの高級品も一部輸出されたようです。本章では、伊万里のヨーロッパ輸出時代の幕開けを担った作品をご紹介します。
この時期は伊万里のヨーロッパ輸出の最盛期といえます。なかでも、オランダ東インド会社からの注文により、1670年代、温かみのある乳白色の型づくりの精緻な白磁「乳白手(にごしで)」に繊細な色絵を施した色絵磁器が柿右衛門窯でつくられ、これが今日典型的な「柿右衛門様式」として知られているものです。有田全体で流行した柿右衛門様式の製品はヨーロッパでも好評を博し、後にドイツのマイセン窯はじめ、フランスのセーブル窯、イギリスのチェルシー窯などでも倣製品がつくられました。ドイツ・ザクセン選帝侯のアウグスト強王が伊万里を盛んに収集したのもこの時期です。また1680年代以降、ヨーロッパ王侯貴族の東洋趣味を背景に、彼らがしきりに求めた室内装飾用の大型の壺と瓶の5点セットも盛んに輸出されました。本章では、伊万里が本格的にヨーロッパの地に浸透し、全盛を誇った時代の作品をご覧いただきます。
1670年代から輸出用として一世を風靡した柿右衛門様式の色絵磁器は1690年代には早くも姿を消すことになります。それに代わって新たに登場したのが、絢爛豪華な「金襴手(きんらんで)様式」です。金襴手様式は明の嘉靖(かせい)・万暦(ばんれき)に盛行した金襴手を手本とし、染付の釉上(ゆうじょう)に金彩と赤絵を低火度で焼き付けたものが基本で、緑・黄・紫などの色絵が加えられたものも存在します。この金襴手様式を用いた大型の壺や瓶の注文が増え、室内装飾品としてヨーロッパの宮殿や邸宅を華やかに飾りました。中には高さ90cmを超える製品も見られます。しかし一方で、1684年に清の展海令によって海禁政策が解かれると、景徳鎮などの中国磁器が再び輸出されるようになります。すでにヨーロッパで一定の評価を得ていた伊万里のスタイルを模倣した「チャイニーズ・イマリ(Chinese Imari)」と呼ばれる製品が景徳鎮窯でもつくられ、伊万里は熾烈な競争を強いられました。本章では、1690年代から1730年代までの、ヨーロッパの王侯貴族らを魅了した華美な作品をご堪能ください。
17世紀から18世紀のオランダ・デルフト窯では、景徳鎮や有田の磁器の影響を強く受けた藍彩あるいは色絵の錫釉(すずゆう)陶器(ファイアンス)が盛んにつくられました。本コーナーでは、芙蓉手の写しや金襴手様式の伊万里など、東洋趣味のデルフトをご紹介します。
1684年以降、ヨーロッパへの輸出を再開した中国・景徳鎮磁器との競争の結果、伊万里は最終的に景徳鎮磁器に敗れることになります。さらに、伊万里のヨーロッパ輸出を扱ったオランダがイギリスとのアジア貿易で敗れたことや、マイセンをはじめとしたヨーロッパ各地での磁器生産の発展も、伊万里のヨーロッパ輸出の衰退に大きく影響しました。1733年には伊万里の収集に熱心であったドイツ・ザクセン選帝侯のアウグスト強王が亡くなるとともに、ヨーロッパでの伊万里の人気も下火となりました。1740年、ハプスブルク帝国の女帝となったマリア・テレジアの時代に特徴的な伊万里がわずかに見られるのが、輸出伊万里の最後の華といえます。1757年、ほぼ1世紀にわたって続いた伊万里のヨーロッパへの公式な輸出は幕を閉じ、ヨーロッパ輸出の立役者であるオランダ東インド会社も1799年に解散となりました。本章では、伊万里の輸出時代終焉に向かうまでの作品をご覧いただきます。
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