2013年4月17日(水)~6月16日(日)
※作品保護のため会期中、展示替をおこなう場合があります。
※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。
「もののあはれ」の言葉の用例は平安時代に遡る。それは自然の移ろいや人生の機微にふれたときに感じる情趣を意味するとされる。「もののあはれ」に通じる要素は古くからあるが、平安時代や鎌倉時代を生きた宮廷をめぐる貴族たちの生活の中で洗練された感覚と言ってよいようである。本章では「寝覚物語絵巻」や「小野雪見御幸絵巻」「豊明絵草紙」など、当時に遡る物語絵をつぶさに眺めることによって、「もののあはれ」に通じる情趣が育まれてきた素地や源流をたどってみたい。ここには貴族の雅びな暮らしぶりが描かれているが、そのしみじみとした情趣を視覚的に表すにふさわしい技法として工夫されたのがいわゆる「作り絵」と呼ばれる技法であろう。華麗な色彩と、細やかな筆遣いによって「吹抜屋台」の空間や「引目鉤鼻」の人物が丁寧に描写されるが、人物の表情はきわめて暗示的である。また「白描絵」においては、色彩を伴わない分、かえって抑制が効いたかたちで「もののあはれ」の情趣を画面に漂わせている。
「もののあはれ」という言葉の意味は「あはれ」をめぐり解釈に広がりがある。「あはれ」は、「哀れ」という漢字を当てると、その語感は何か物悲しく儚いイメージに偏るが、本来は、賛嘆や愛情を含めて、深く心をひかれる感じを意味していたとされる。この「もののあはれ」を知ることを18世紀において考察したのが本居宣長(1730~1801)その人に他ならない。彼の著作によれば、「もののあはれ」を知ることこそが、人生を深く享受することにつながると指摘されている。本展では「雪月花」に代表される自然の移ろいとともに、誰しもが経験するであろう人生の喜怒哀楽によってふとわき上がるしみじみとした情趣を広く「もののあはれ」と結びつけて考察したい。ここに並ぶ美術作品には、制作に関与する人々の一人一人の思いが込められている。それぞれの造形の表現技法によりながら「もののあはれ」を濃淡豊かに形象に表していて、言葉を介さずとも何かを伝えてくれるようである。
『源氏物語』は、平安時代を生きた貴族たちが、いかに四季の自然を愛で、どのような思いで人と関わっていたかを、連綿と描き出している。その情趣ゆたかな物語が、絵巻や屏風、工芸の題材として好んで取り上げられ、現代に到るまで、古典文学の中でも特別な存在であり続けていることは言うまでもない。本居宣長は、『源氏物語』こそは「もののあはれ」を人々に深く知らしめるために紫式部が著した物語であると述べている。「賢木」の帖において野々宮の六条御息所を訪ねる光源氏の一行の姿や、「須磨」において月影を見上げる光源氏、「宇治十帖」の「浮舟」で匂宮と浮舟の2人が月明かりのもと舟を浮かべる景色には「もののあはれ」を誘う情趣がしたたるばかりである。また「春はあけぼの」にはじまり、心動く対象を書き連ねるかたちで『枕草子』を著した清少納言は、「もののあはれ」の享受の仕方にウィットを織り交ぜており、中でも「香炉峰の雪」のエピソードは好んで絵画化された。
物語の展開の中で「もののあはれ」の情趣が際立つのは、和歌が詠み交わされる場面と言えよう。和歌を詠む行為は、「もののあはれ」を深く知ることと分かちがたく結びついているのだと本居宣長も述べている。和歌はまた、書跡における仮名文字の美しさや、洗練された料紙装飾と共に鑑賞され、受け継がれてきた歴史がある。中世以降は、柿本人麻呂や小野小町など、歌詠みの名手が三十六歌仙として選ばれ、これをさまざまに絵画化した歌仙絵の制作も流行した。「雪月花」にちなむ風物を愛でながら、人生の機微に触れ、心動かされる内に和歌が詠まれてきた経緯を、それぞれの歌仙の姿から連想することもできるであろう。とくに西行(1118~1190)に関しては、その和歌と生涯の伝説を結びつけた「西行物語絵巻」が複数制作され人々に愛好された。季節が移りゆく中、風光明媚な名所を旅しながら、折々の「もののあはれ」の情趣にひたる西行の姿が、絵画と文学の相乗効果によってしみじみと描き出されている。
夜空に輝く月は、「もののあはれ」を誘う屈指の存在として和歌に詠まれ、絵画や工芸に造形化されてきた。鎌倉時代の「佐竹本三十六歌仙絵」にも、自ずと月をさまざまに詠んだ和歌が含まれている。「水のおもにてる月なみをかぞふれは」という源順の和歌が8月15日の満月を詠むように、月の満ち欠けは「もののあはれ」へと心を導き、降り注ぐ月光はもの思う人々の心の動きを照らし出す趣があると言えよう。とくに琳派の和歌色紙や「柳橋水車図屏風」、硯箱の蓋表など、流派や分野を問わず作り手が好んで取り上げたのは下弦の月である。夜半に天空に上り明け方を迎えてから沈んでいく、いわば大人専門の時刻に見える月である。現代とは異なって、夜は月が主たる光源であり時計や暦代わりでもあったから、人々はその形を子細に観察し厳密に描き分けた。人々の暮らしに寄り沿う存在として、月に託す想いの細やかさは、今とは比べものにならないくらい親密であったことが、これらの造形作品によってしみじみ伝わってくる。
いわゆる「雪月花」や「花鳥風月」など、季節の移ろいとともに姿を変える自然の風物は、唐の文化や漢詩に由来する部分もあるが、今なお、日本人が素直にイメージを抱く「もののあはれ」の情趣を代表する取り合わせと言えよう。古くは『和漢朗詠集』や『古今和歌集』などに数多く詠われた四季の題材の中でも、春の桜と秋の紅葉とは、しばしばその美しさを競う趣向によって絵画や工芸のモチーフとなってきた。また、春の訪れを告げる鶯(うぐいす)と、夏の訪れを知らせる時鳥(ほととぎす)は、とりわけその初音が待たれる鳥である。それゆえ右から左へ四季が移ろうことの多い花鳥図屏風には欠かせない存在となった。色絵の陶磁器、唐織の能装束には、撫子(なでしこ)や紫陽花(あじさい)など色とりどりの季節の草花が繰り返し登場する。今回の展覧会は、春たけなわの四月から、初夏にかけて開催される。木々の緑が鮮やかな季節となるが、耳をすませば、鳥の鳴き声が遠くかすかに聞こえてくるかもしれない。
藤袴(ふじばかま)、女郎花(おみなえし)、萩、薄。日本文化に特有の美意識がもしあるとすれば、それを典型的に表すモティーフとして、秋草の表現を忘れることはできない。絵巻や屏風、漆工や陶磁器、染織を問わず、美術の各分野に共通して、秋草はそこかしこにさりげなく登場する。なるほど扱いは脇役に過ぎないが、秋草は季節感をもたらすだけでなく、しばしばその場面の雰囲気を視覚的に暗示する役割も果たしてきた。まさしく登場人物が心動かされる瞬間が、たおやかに風にそよぐ秋草に託されていっそうの生命感をもって表現されるのである。中世の蒔絵にみられる「葦手絵(あしでえ)」の技法を併用した秋草から、桃山時代の「高台寺蒔絵」における明るく調和のとれた秋草を経て、江戸時代の「武蔵野図屏風」に見られるような幾何学的でリズミカルな秋草に至るまで、時代の変遷とともにその姿は様変わりするが、秋草に託して「もののあはれ」を表す造形の伝統が脈々と受け継がれていることをはっきりと見ることができる。
「もののあはれ」を知ることは、ひとり物思いに耽り、しみじみと心動かされるだけにとどまらない。和歌に詠まれ、絵画や工芸に表現され、鑑賞されることによって、初めて人々と共有され、それぞれの憂いが晴れるという側面が確かにある。また花見、月見、紅葉狩り、雪見など、大勢で連れ立って洒落込む季節ごとの行楽の動機づけには、「もののあはれ」の情趣への共感が等しく息づいていると言ってよい。私たちの暮らしには1年12ヶ月や、春夏秋冬、朝昼夕晩夜、月の満ち欠け、そして人の一生と、巡り来るさまざまなサイクルがある。これらはいにしえの人々と変わらぬ事情であるから、過去を生きた人々と心を重ねあわせることはそう難しいことではない。一方、江戸時代に始まる両国の花火など、「もののあはれ」を誘う要素は、伝統に閉じこもることなく常に更新されてきたと言えよう。鏑木清方の風俗画を眺めると、現代の暮らしの一齣一齣にも「もののあはれ」を感じる心が脈打っていることが実感されてくる。
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