2010年8月11日(水)~10月11日(月・祝)
※作品保護のため会期中、展示替をおこなう場合があります。
※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。
はじめに、200年あまり続いた鍋島藩窯の草創期から幕末の製品まで、各期を代表する作品を通じてその歴史を概観します。1640年代後半に始まった「鍋島」開発の目的は、佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂が徳川将軍家にたびたび献上していた高級な中国磁器に代わるやきものを、藩内において生産するためだったと考えられています。草創期の「御道具山」(鍋島藩窯)は有田の岩谷川内山にあったが、1660~70年代に伊万里の大川内山へ移されました。
大川内山へ移転した藩窯の製品は、18世紀の初めにかけて最盛期をむかえます。採算を度外視してていねいに絵付された色鍋島や、鍋島青磁の多くがこのころに生まれました。 18世紀前半以降、徳川幕府はあいついで倹約令や減少令を出し、諸藩からの贈遣・礼物・献上品についても減らすことを命じました。その結果、染付と赤・緑・黄の三色を使うぜいたくな献上色鍋島に代わり、染付と青磁を主体とする落ち着いた作風へ変化します。
献上鍋島は、1760年代ごろを境にさらに形式化が進んだと考えられています。安永3年(1774)には、徳川将軍家お好みの鍋島絵柄「手本」が幕府から佐賀藩へ示され、将軍家への毎年の献上鍋島に、この絵柄手本の中から二~三種を含めるようにと指示がありました。以後、明治4年(1871)廃窯までの製品は、色・絵柄ともに定型化が進みました。
ここでは、有田の技術力の粋を集めて作ったと称賛される数々の鍋島皿のうち、見込の文様構成の特徴を「連続文様」「散らし文様」「割付文様」「中央白抜き構図」その他に分けて紹介します。
やや深い円形の見込に高い高台の「木盃形」が鍋島皿の主流となると、まるい画面の中でいかにめずらしい絵柄を考え出すかに鍋島藩窯は苦心するようになりました。元禄6年(1693)、佐賀藩から有田皿山代官(鍋島藩窯も含む有田の諸窯地を統括していた役所)に渡された掟(おきて)書である「有田皿山代官江相渡手頭」の写しの中に、献上の陶器(=鍋島)が毎年同じ物でめずらしくないので、今後は脇山(=有田の民窯)に産する品と時々比較し、めずらしい模様の物があれば書付を取り提出するように。その上で年寄どもや進物役の者が吟味し、指図に従って焼き立てさせるように、という指令があります。鍋島の意匠が元禄6年頃にはマンネリ化し、そこで有田の民窯の製品にすぐれた意匠があれば、年寄や進物役が吟味したうえで鍋島の絵柄に採用するようにという具体的な解決策が指示されたのです。鍋島藩窯製品のデザインのため、有田の民窯製品から取材することがあった状況を示す具体的な作例もあります。
ここでは鍋島意匠の品格を支えた「色」と「技」に焦点を当てます。 まず鍋島において最も重要な色は染付の青色です。肥痩がなく整った骨描き、墨弾き、あるいは濃淡の変化自在の濃みや瑠璃釉など、鍋島藩窯は幅広い青の表現を駆使しました。格調高さを作り出す鍵は染付の青であると言っても過言ではありません。 色鍋島は、染付の青色に上絵の赤・緑・黄を加えた4色以内で構成します。特に赤絵は、濃淡の使い分けや点描によって紫色から桃色、茶色まで自在に表現することができます。金彩、紫、黒は用いません。
鍋島青磁は、透明感のない明るい緑色が特徴で、色絵や染付、銹釉と組み合わせてもよく調和し、落ち着いた風格を作り出す色です。なかでも、染付に部分的に青磁釉の掛かる皿は鍋島藩窯が得意としたスタイルであり、多くの名品・優品が残っています。
「墨弾き」の技は、有田の諸窯で1650年代頃からはじまり、1660年代以降さかんに用いられるようになりました。染付の青い地に、青海波文・紗綾形文などを白く細密にくっきりと染め残します。特に、川や海など水の景色をあらわす青海波文の例が多くみられます。墨弾き文様は、裃(かみしも)などの武家装束に用いられた「小紋」を連想させます。鍋島は墨弾きをとりわけ効果的に用いたやきものです。
十四代今泉今右衛門は、1962年に十三代の次男として生まれ、武蔵野美術大学では金工による現代彫刻に挑み、88年鈴木治氏に師事しました。その後90年より父のもと家業に従事し、2002年に十四代を襲名しています。
今泉家は江戸期の佐賀藩で御用赤絵師を務めた家柄で、代々色鍋島の伝統を継承し続けてきました。14代は鍋島の「品格」、「格調」を最も重要視しながら、常に新たな展開を追求しています。なかでも、江戸期の鍋島から継承されてきた技法「墨はじき」(描いたところが白抜きになる)を進化させ、独自の表現を見出しました。
ここでは鍋島の「尺皿(大皿)」、または「組皿」をとりあげます。「尺皿」と「組皿」は、献上・贈答の役目を担いつづけた鍋島食器の性格を端的にあらわすキーワードです。
直径約30センチメートルの尺皿は、色絵・染付・青磁にかかわらずいずれも堂々たる存在感を放ちます。武家の饗応の場において、尺皿はその主役を担う重要なうつわでした。尺皿には、手元で眺めたときの高い完成度や絵付の精巧さを保ちつつ、離れた場所からでも充分に見ばえのする、華やかな絵柄が選ばれています。また、裏文様や高台文様にいたるまで細心の注意をはらいつつ丁寧に描かれており、緊張感あふれる点も見どころです。徳川将軍家への献上鍋島の品目のうち「鉢」にあたる尺皿は、例年二枚ずつ献上されていました。
直径七寸(約20センチメートル)以下の鍋島皿や向付・猪口は、徳川将軍家への例年献上の際、それぞれ20客ずつ樅(もみ)の木箱に納めて献上したといいます。しかし現在では1客ずつの伝世品も多く見られます。もちろん1客でも格調高いことは言うまでもありませんが、組皿が見事に同寸・同形・同意匠で揃った時、一客ずつの魅力とはまた趣の異なる迫力が備わり、鍋島藩窯の誇る技術力の高さが強調されます。
ここでは鍋島皿に採用された絵柄のうち、四季の花卉草木図案と、典型的な吉祥図案に焦点を当てます。
四季折々の花卉草木を描く皿は、鍋島藩窯製品全体のなかでも明らかに多く、しかも同じ図案で繰り返し作られていたことが伺えます。同じ図案の皿を色鍋島と鍋島染付の二種類作っている場合も少なくありません。さらに、花卉草木に鳥を組み合わせれば花鳥文、器物を組み合わせれば文学意匠になり、非常に応用範囲の広いテーマとしてひんぱんに用いられました。
吉祥図案として典型的なのは、宝尽文・桃文・松竹梅文・瓢箪文などです。しかしながら、花卉草木、鳥、獣の意匠の中にも吉祥の意味を持つものが数多くあります。それらをすべて含めれば、鍋島皿の絵柄の半数以上は、何らかの意味で吉祥柄であるといっても過言ではありません。
皿の見込に描かれた、宝尽くしをはじめとする分かりやすい吉祥文様は「大願成就」「清廉潔白」「不老長寿」「天下泰平」「子孫繁栄」「富貴福禄」など、贈る相手の多幸を祝いつつがなきを祈る、心づくしの表れなのです。
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