2009年3月28日(土)~5月17日(日)
※作品保護のため会期中、展示替をおこなう場合があります。
※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。
薩摩切子が生みだされる際、手本となったのは、イギリスやボヘミアのカットや、江戸切子でした。第1章では、薩摩切子の造形に影響を与えた東西を代表するカット(切子)ガラスをご紹介します。
薩摩切子の発端は、薩摩藩主・27代斉興が始めた薬瓶の製造でした。28代斉彬の代に美術工芸品として大きく飛躍した薩摩切子は、豊富な色彩とカットのヴァリエーションが大きな魅力です。近年では色ガラスばかりでなく、無色透明の薩摩切子の存在も明らかになりつつあります。 第2章では、コーニング・ガラス美術館(アメリカ・ニューヨーク州)からの里帰り品の他、全盛期の優品を紹介すると共に、斉彬から四女典姫(のりひめ)に形見として贈られた大皿など、これまで「薩摩」と認識されてこなかった無色の切子も併せて展示します。
藩をあげて製造された薩摩切子は、献上品として用いられたことも多く、現存する器は将軍家や大名家に伝来したものも少なくありません。また、大正10年(1921)10月23日、東京・袖ケ崎の島津家本邸で開かれた薩摩硝子陳列会への出品も、公爵や伯爵、子爵らが所有するものがほとんどでした。このことは、薩摩切子がいかに時の名士たちに愛されるべき高級品だったかを物語っています。第3章では、そんな限られた方が愛した薩摩切子を展示します。
制作も後期を迎えると、薩摩切子の色彩はより多様化し、カットの配置やヴァリエーションも一層モダンな造形へと変化します。またその製造場所も、裾野を広げたとも言われています。第4章では、幕末から明治への変動と共に、移りゆく薩摩切子の姿を垣間見ます。
薩英戦争による工場の破壊、また明治維新という時代の大きな変化の中で、薩摩でのガラス製造はその栄華を閉じました。一方、明治政府は、ヨーロッパの技術者を呼び、明治9年(1876)に品川で官営工場を操業し、近代ガラス産業の幕開けを担います。幕末、一気に花開いた薩摩切子の美と技術は、新たな時代に引き継がれたのでしょうか。最終章では、その行方と継承の一端をご紹介します。
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