田所 昌幸(たどころ まさゆき)
慶應義塾大学法学部教授
田所 昌幸(たどころ まさゆき)
慶應義塾大学法学部教授
海外での日本への関心が低下しているとよく言われる。かつて日本は「非西洋で唯一の先進国」だったり、「東洋の伝統と最先端のテクノロジーの組み合わさった国」だったり、「独自の政治経済モデルで大成功を収めている国」だったりと、とかく世界で「特殊」な存在だということを説明するのに、日本の知識人も忙しかった。しかし上に述べたような意味では、日本はよかれ悪しかれ陳腐な存在になった。日本が金の成る木でなくなって久しいし、中国や韓国だけではなく、インドやブラジルといったいわゆる新興国経済の発展も過去10年くらいは注目を浴びている。日本の政治経済モデルが成功体験としてもてはやされることはもはやないどころか、むしろ反面教師のように語られることの方が多くなっている。
このことは多様な意味があるにせよ、その一つは日本がもう世界の中で「特殊」であることを売り物にする時代を卒業したということではないだろうか。言い換えれば、現代日本のあり方の普遍的な意味を問題にする方が、世界における日本の知識人の役割として意義が大きいのではないか。そう考えてみると、現代日本社会のありように、人類全体にとって先進的な意味があることに、日本人自身もあまり気がついていないのかもしれない。平和、繁栄、民主主義という戦後の日本人の夢は、そのまま地球上の多くの人々の夢でもある。戦争と平和のどちらがいいかと聞かれれば答えは自明だが、では自国の領土の防衛ですら自国の力だけではできない居心地の悪さは、実は世界中の多くの国が共有している。長期の平和と繁栄のおかげで、日本の平均寿命は世界最高の水準にあるが、その結果起こった少子化や人口の高齢化は、世界の多くの地域が平和で繁栄し医療が進歩すればするほど避けられない課題である。日本の民主主義が高く評価されることもあまりないが、さりとて政治体制を中国のようにしたほうがよいという人も、あまり居ないだろう。日本の体験を国際的に共有することは、一部の日本研究者に独占させるような課題ではないのではないか。
『グローバルな文脈での日本(Reexamining Japan in Global Context)』と題する国際プロジェクトを昨年から始めたのはこんな思いからだった。さっそく20年来の友人で、北米のきわめて有力な国際政治学者のデービッド・ウェルチに話を持ちかけたところ、二つ返事で意図を理解してくれて、共同でプロジェクトのディレクターをやっている。おそらくどんな学問分野でも同じだろうが、非常に専門化が進んでいて、狭い範囲の自分の専門分野以外の話に関心を持たない学者が増えている。デービッドは北米で教育を受けた国際政治学者の王道を行く優れた人物で、ハーバードではスタンレー・ホフマンとジョセフ・ナイというその道の大御所二人から薫陶を受けている。だがモデル化や計量化が進んでいる現在の北米の国際関係論では、おそらくクラシックな学風を受け継いでいて、思想や歴史への造詣が深い。おかげで、第一回目はエネルギー問題、第二回目は幸福についてという学際的なテーマについて、日本と海外の専門化を一人ずつまねき、それに少数のコアメンバーを加える小規模なワークショップを開催しているが、毎回密度の高い議論ができている。
そのデービッドは実はアメリカとカナダの二つの国籍を持っているが、カナダから移ろうとしない。つい先日もこのプロジェクトの3回目のワークショップを彼が現在所属するウォータールー大学で開催した。民主主義国における階級的格差が様々な政党の意義を希薄化しているのではないか。これは日本に限られた現象なのかと言ったことを丸一日かけて議論した。日本からは学習院大学の野中尚人教授が来て話してくれたし、カナダの政党政治の現状についてはその道の大家であるピーター・ウールステンクロフト教授が、そして比較政治の観点からブリティッシュ・コロンビア大学のベンジャミン・ナイブレード教授が報告をしてくれえて、大変質の高い議論ができた。議論の概要はプロジェクトのサイトにアップロードするので、是非ご一読願いたい。
それにしてもつくづく思うのは、カナダと日本の相性の良さである。ともに隣に厄介な隣国が居て(1812年の米英戦争では実際アメリカがカナダに攻め込んでいる)、民主主義、比較的大きな政府、議会制度といった共通点もある。日本人にとってカナダとアメリカとどちらが日本の将来のあり方として魅力を感じるかと聞かれれば、もちろん人によって答えは違うだろうが、カナダの方が日本人の肌合いにはあうのではないか。カナダの日本専門家と日本のカナダ専門家の関係に、日本とカナダの知的交流を限定するのはあまりにも残念である。往復の東京-トロントのエアカナダ便はともに満席だった。札幌とバンクーバーの間で直行便でも飛ばせば、札幌の会議ビジネスや観光業にも資するだけではなく太平洋をまたいだ隣国との交流はずっと楽になるのだが。
田所 昌幸(たどころ まさゆき)
慶應義塾大学法学部教授