姫路市の郊外、緑豊かな田園風景の広がる中、白壁土蔵造りの日本玩具博物館がある。ここは、日本の郷土玩具や世界150カ国の玩具や人形など9万点あまりを所蔵・展示し、世界でも屈指と評価の高い玩具博物館だ。常設展に加えて季節毎に2棟で「雛人形」「ちりめん細工」「世界のクリスマス」など、ここでしか見られないユニークな企画展・特別展も行っている。
世間では"おもちゃ"を博物館に展示することなど考えられなかった時代(1960年頃)に、『日本の郷土玩具』という一冊の本と出会った井上重義さんは、失われる子どもの文化遺産を後世に遺したいと収集を始めた。1974年に新築した自宅の一角を展示室として5千点の資料を基に開設、次第に規模を拡大し、現在6棟700㎡の施設に国内6万点と海外が3万点の計9万点もの貴重な資料を収蔵する。開設後、一度も赤字を出すことなく運営を続け、活動の幅を広げている。現在も個人経営でありながら6名のスタッフで個性豊かな活動を続ける、その秘密を伺った。
日本玩具博物館で展示されているものの多くは、木や紙や土などの自然素材で作られた玩具である。展示室には、掌にも満たない小さなおもちゃや人形などがところ狭しと並べられている。展示には工夫がこらされ、詳しい解説がつけられている。館内には実際に触って遊べるコーナーもあり、東日本大震災後、幼子を抱えて親族のもとに避難した母親が毎日のように子どもと訪れ、「心が癒された」と感謝の気持ちを伝えていったという。
収蔵品には、寄贈も多い。家族の思い出がつまった豪華な雛人形や端午の飾り、故人が長年集めていた郷土玩具など、中には1000点規模のまとまった寄贈もこれまでに何件もあったそうだ。日本玩具博物館では、評価されずに消えようとする子どもや女性などの文化遺産を後世に伝えるのが使命であることを明確にして活動し、展示や資料作りに活かしている。だからこそ大勢から信頼され、この博物館に託したいという声が全国から寄せられ、貴重な玩具が数多く集まるようになった。
収集や展示活動は、評価されずに忘れられているもののすばらしさに気付いて欲しいという信念をもって行っている。その一つが「ちりめん細工」である。
1980年代に、人形や鞠の収集を行う中で、井上さんは「ちりめん細工」の存在を知った。江戸・明治の頃に流行した「ちりめん細工」は、縮緬(ちりめん)という着物の生地のはぎれを使って花や動物、人形を作る、細やかで美しい手仕事である。井上さんは、その素晴らしさに感銘を受け、今集めなければ歴史から消えてしまうという危機感から、迷わず収集を決めた。
1986年に収集した資料で「ちりめん細工展」を開催したところ、初めてちりめん細工を知る人も多く、大反響をよんだ。以来、収集品や復元作品による展覧会の開催や、作り方の講習会を行い、その伝承と普及に努めてきた。ちりめん細工の愛好者たちと共に江戸や明治の文献資料や古作品の研究も行い、その成果は本にまとめて出版した。これまでに11冊を出版、再版を繰り返して5万部を超えるものもある。実は「ちりめん細工」という言葉も井上さんが考案、1994年にNHK出版から出版した『伝承の布あそび ちりめん細工』以降、出版した本で使ったのが市民権を得たものだ。
しかし、材料となる江戸や明治期に作られた縮緬は、高価で、入手も困難になっていた。ちりめん細工の再興には、廃れてしまった明治期の薄くて伸縮性のある二越縮緬の再現が欠かせないと考えて丹後地方の織元と共同で取り組み、試行錯誤の末、再現に成功した。使い手に少しでも安く届けるために卸値で通販したところ全国から注文がくるようになり、この館で学んだ人が講師を務めるちりめん細工講座も秋田から福岡まで全国で20箇所以上、ちりめん細工を愛し、支える裾野は大きく広がった。現在、ちりめん細工は博物館経営を大きく支え、「枝が幹になり、実を落としてくれるまで成長した」と井上さんはいう。
一方、全国的に博物館来館者数が減少する中、かつては香寺町人口の3倍の6万人もが一年間に訪れた日本玩具博物館も現在は2万人程度に減っている。しかし来館者数だけで博物館を評価する昨今の風潮に井上さんは疑問を投げかける。公立館は無料入館者数が増加していると言われているからだ。日本玩具博物館の来館者は他府県や海外からの割合も大幅に増え、全国的な情報発信も増えて、経済波及効果が大きく高まっていることに井上さんは気付いて欲しいと訴える。
これには、学芸員の尾﨑織女(おざきあやめ)さんが大きな力となっている。開館後、井上さんは個人立博物館の評価を高めるには国の登録博物館に認定されることが大切だと考え、そのため1990年に尾﨑さんを学芸員として迎えた。尾崎さんは玩具や人形の奥深さに魅了されて勉強を続け、現在は展覧会の企画を練り、解説書を作るなど、博物館機能を大きく充実させた。今では玩具博物館のコレクションの理解者であり、おもちゃ文化の紹介者として全国的にも欠かせない人材になっている。
尾﨑さんは「おもちゃの世界は世界の縮図」と捉えて、比較文化的な視点での紹介を手がけている。たとえば青森の郷土玩具「はと笛」は、オカリナのようにきれいな音階を出すことを目指して作られるヨーロッパのはと笛に比べると、むしろ雑音もよしで、自然志向に作られていることがわかるという。他にも、世界のおもちゃの中で個性を発揮するのが日本の郷土玩具である。井上さんや尾崎さんは、展示を通して日本文化の隠れた部分に光を当て、親しみのない世代にも新しい発見になって欲しいと願う。日本玩具博物館のコレクションには貴重なものが多いが、適切な理解者を得て輝き、いっそうの広がりをみせている。
長年、地域の応援団として「友の会」会長をつとめる大槻守さんをはじめ、日本玩具博物館を応援する人は地域の内外にいる。取材に訪れたマスコミ関係者がファンになることもあるという。少人数で、積極的な広報を行う資金的な余裕もないそうだが、展示や出版物、HPなどの基本の媒体をきちんと手掛けることで力を発揮し、全国に共感者を増やしている。心をこめた丁寧な仕事が人々の心を動かし、良い連鎖が生まれているのを実感できる。小さな世界に目をこらすことの面白さと大切さを、日本玩具博物館はその存在で教えてくれる。
2012年5月取材:高嶋麻衣子