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第1回
【滋賀県東近江市】東近江大凧保存会
1992年受賞
地域への思いを凧に託す

東近江大凧まつりは5月の最終の日曜日に東近江市愛知川河川敷で行われる。今年のまつりは5月27日、当日の天気は晴、大凧が揚がるのを一目見たいと今年も3万8000人が集まった。しかし、風は弱く、その上くるくると向きが変わるという最悪のコンディション。時間切れ寸前、150人の引き手による4回目のトライで、100畳700キロの大凧がフワリと5メートルばかり上がった。人力による一瞬のパーフォーマンスである。しかし数秒後には歓声がため息に変わった。大凧が風を受け、その雄姿を見せるのは数年に一回、長時間揚がった年のことは、語り草になる位、幸運な出来事なのだ。

八日市大凧から東近江大凧に

東近江大凧まつりは長い間「八日市大凧まつり」として親しまれてきた。平成17年の市町村合併で八日市市が無くなり、東近江市になってからも、名前を変えることなく続けてきた。合併から7年の時を経た今年、まつりだけでなく平成3年開館の「世界凧博物館八日市大凧会館」、昭和28年に結成された「八日市大凧保存会」も、「世界凧博物館東近江大凧会館」「東近江大凧保存会」に名称が変わった。名称を変えることに対する反対もあったに違いない。親しみ、大切にしてきた名称を変更したその心は何なのか。

江戸時代中頃に始まった大凧揚げは度々の禁止令にも関わらず、明治には記録の残る中で最大の240畳という凧が揚げられ、大正時代には各家で節句に凧を揚げるという習慣が残っていた。しかし昭和になり、多大な費用がかかる、製作技術が秘伝のため技術保全が難しい、大きな凧を揚げる場所がない、等の理由により、揚げられることも少なくなった。戦後中断していた大凧を復活しようと、昭和28年に保存会初代会長になる故西澤久治氏が尽力し、競い合って譲らない三つの字(あざ)をなんとかまとめあげ、久しぶりに大凧が空に揚がった。そして翌昭和29年に昭和の大合併により八日市市が生まれたのである。

八日市大凧の元をたどれば。八日市という名前が大事なのではないことがわかる。名前は枠組みに過ぎない。今回の名称変更は、大凧を復興したときの立役者であった西澤さんの、「大凧によって地域をまとめて、地域の誇りとしたい」という気持ちを引き継ぐものだ、と東近江大凧保存会副会長の中村章さんは語っている。地域というのは固有の地名ではない。これから一緒にやっていこうとする人たちの思いの及ぶ範囲なのだ。

地道な努力と大きな夢

昭和50年頃には保存会の人たちの高齢化もあり、後継者不足による継承の危機もあった。西澤氏は「ええもんやからさかい時代を超えて残っていくんやない。ええもんやから残していかなあかんのや」と若い人たちに語ったという。

西澤さんが始め、今も続いているのが新成人を祝って20畳の凧を毎年作り揚げることだ。小学校でも教育の一環として凧作りに挑戦している。一方、日本一の富士山で日本一大きな凧を揚げる、という一見無謀に見える試みを成功させ、イギリス、中国、シンガポール、フランス、など海外との交流も盛んに行ってきた。若手のメンバーであり市の職員でもある村山弘晃さんは大凧を海外に持って行ったときの経験を、「世界に通用する文化を持っていると感じた」と誇らしげに語っている。若い人たちに根付き継承されるためには、地道さと夢のどちらも必要ということなのだろう。

ふるさと創生事業で開設された「世界凧博物館」副館長で長年学芸員を務める鳥居勝久氏は、従来の学芸員としての仕事はもちろんのこと、地域を走り回り、凧の普及や広報活動に保存会の人たちと共に頑張っている。子どもたちへの凧作り指導などの努力の甲斐あって、大凧まつりの会場では、100畳敷き大凧だけでなく個人・団体が参加する2畳や8畳の凧に判事物のユニークな絵柄を描いた「ミニ大凧」コンテストも行われる。

何かをしたら大幅に後継者が増える、というような簡単なことではない。しかし、蒔いた種のうち、いくつかは確実に芽を出し、次の担い手として育っている。地道な努力と、ドキドキするような体験、そして夢中になって夢を追う大人の背中を、次の世代は見ているのである。

思い通りにいかない風とともに

大凧の魅力は思い通りに揚がらないこと、などというとヒンシュクを買いそうだが、容易にあがらないからこそ、これだけ夢中になれるのではないか。風は気まぐれである。風向きに合わせて大凧を動かすのには大変だが、動かしたとたんに風向きが変わるということもある。止まった風力計にため息をつく、風待ちは当たり前だ。見物人の期待に応えるために人力で揚げることになるが、それでも揚がるのは一瞬である。大凧が空に揚がることだけがクローズアップされるが、片付けの素早さは一見に値する。副会長の中村章さんの掛け声で、仕掛けのピンが抜かれ、あっという間に一本の巻物になる。チームワークと手際の良さ、その早さは感動的であった。

思い通りにならない風を相手に、保存会のメンバーが中心となり、多くの市民とともに力を合わせて巨大な凧にチャレンジする。今年は揚がらなくても来年がある。参加してこそ味わえる楽しさであろう。

2012年5月取材:佐藤友美子

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