言語の起源と真の知性、そしてボイジャー号

ふくだ ぺろ

立命館大学大学院先端総合学術研究科 一貫制博士課程
2022年度 鳥井フェロー

言語の起源と真の知性、そしてボイジャー号

ふくだ ぺろ
Pero Fukuda

言語の起源と真の知性、そしてボイジャー号

ふくだ ぺろ Pero Fukuda

 2023年9月6日、第12回堂島サロンが大阪で開かれた。生物心理学の第一人者にして、江戸家猫八も顔負けの声帯模写の名手、岡ノ谷一夫帝京大学教授が来阪され、「言語起源の生物学的シナリオ」について話された。以下、岡ノ谷氏の講演と会場の議論を合わせて、執筆者ふくだの文責において簡潔にまとめるー

 私は歌から言語が生まれた、という「相互分節化仮説」を唱えています。これからその詳しい話をしますが、どのような動物でもコミュニケーション、特定の信号によって他者の行動を変容させること、はしています。でも言語とコミュニケーションは違います。言語とは「世代間学習により多くのシンボルを習得し、個々の単語が特定の意味・状況・文脈と対応し、シンボルを組み合わせることで無限の意味を伝達できるシステム」です。重要なのは「無限の意味」を生成できる点です。だからこそ動物の鳴き声などのコミュニケーションは言語とは言えないし、人間の自然言語(音声言語と手話言語)以外で言語と呼べるシステムは生物界に存在しない。しかし、だからと言って突然変異的に言語が唐突に出現したとは考えません。言語自体は人間に特有だが、言語も進化の産物だと考えます。言語を複数の要素に分解した場合、それぞれの要素に対応する進化は他の動物にもあるだろう。であれば、そうした動物のコミュニケーションを検討することで、言語起源の生物学的シナリオに迫っていく、これが今日の話の見取り図になります。

 生物心理学的構成論  こうした私の方法論を専門的には「生物心理学的構成論」と呼んでいます。簡単に説明しますと、前適応、ある生物の形質が、現在果たしている機能とは別の機能として元来進化していたという考え方でして、例えば、元は断熱への適応として進化した鳥の羽が飛行に適応するようになったのが前適応の一例です。そして、言語を可能にした前適応は動物にも共有されていると考えます。その上で、その前適応を研究しやすい動物の進化と神経機構を研究します。そこで得られた知見を、ヒトの非侵襲計測や社会調査研究からの知見と対応づけることで、ヒトの言語の起源を探る、そういう方法をとっています。
 言語の3つの前適応  今日は、言語の要素として重要な発声学習、文法、意味の3点について考えます。それぞれの前適応として考えるのが、呼吸の意図的な制御(発声柔軟性)、ダンスや歌などの時間構造を持つ性的行動(音列分節化)、状況を認知して定型的な行動を行う仕組み(状況分節化)という三つになります。では、まず発声柔軟性を考えましょう。
 発声柔軟性から発声学習へ  発声学習をする動物はクジラ目のほとんど、鳥類の半数、と霊長類で唯一のヒトになります。そして、発声学習をする種に特有な脳構造として指摘できるのが、運動野と延髄呼吸発声中枢の直接連繋です。この発声学習に至る道筋として考えられるのが、一つには潜水、飛行時の呼吸制御です。そしてもう一つは、ヒトと一部の鳥がそうなんですが、鳴き声によって餌をねだるような親の制御が適応的だったので、呼吸制御するようになったのではないか。こうして得られた発声柔軟性が発声学習へと繋がっていったと考えています。
 音列分節化から文法へ  ジュウシマツは複数の歌のパターン、フレーズを組み合わせて歌います。この歌文法は言語学的には有限状態文法に属するのですが、興味深いのは、個々のオスが他のオスの歌文法を学習し、フレーズごとに分節化した上で、独自の歌唱パターンを作る点です。歌文法に関わる脳の部位が前頭前野と大脳基底核であることは各種実験からわかっているんですが、両者のループ構造によって音列の切り分けがなされていると考えられます。
 状況分節化から意味へ  ラットの実験から、海馬と扁桃体が空間や状況の分節化装置として働くことがわかっています。デグーというネズミのような動物がいるんですが、デグーの海馬の機能を停止させると、空間知覚ができなくなるだけでなく、毛繕いに対して噛みつき返すというような、間違った情報の分節化が起きます。ここでも再び、前頭前野と海馬・扁桃体のループ構造が形成されることで、状況分節化がされると考えられます。
 相互分節化仮説  さて、「ワッワッオーワッ(岡ノ谷氏の声帯模写)」。これ、テナガザルの声です。テナガザルのオスは生まれつき「ワ」と「オ」の2種の音で歌えるのですが、歌が歌われる状況と音の組み合わせの分布を調べます。そうすると、例えば警戒の歌の時は「ワワワ」というパターンが多いというような対応関係が見出せるんです。この、歌に見られる、状況と音の対応関係は言語に近いものがあります。実際、ミズンやダーウィンは言葉以前に歌があったと考えていましたし、文化人類学の例ですと、中央アフリカのピグミーの言葉を伴わない歌はこうした歌から言語への進化を考察する時に示唆的です。例えば、狩りの歌や、食事の歌のような状況的な歌があったとしましょう。この二つの歌に共通するフレーズと「みんなで○○しよう」という状況が共に抽出、相互に分節化されて、シニフィエ(記号)、シニフィアン(概念)のようなものができる。それが多く抽出され、色々な組み合わせを持つことで、無限の意味を表現できる言語へと繋がっていったのではないかと考えられます。
 無限のパターン  質問:音列と状況の一対一対応から無限のパターンまでは飛躍がある気がしますが?
 おっしゃる通りですね。ここでまたジュウシマツを考えます。家禽化されたジュウシマツは様々なパターンを工夫して歌うんです。天敵がいなくなって求愛の技のコンピート、競争が生じ、組み合わせを工夫できるオスが生殖に有利、セクシーだという世界が鳥にはあります。恐らくクジラにも、ヒトにもある。なので形式的な無限の組み合わせが相互分節化とは別に進化し、後に連関したのではないかと考えています。
 最後にまとめます。運動野と延髄呼吸発声中枢の直接連繋が発声柔軟性を与え、発声学習を可能にすることで、歌えるようになった。そのなかで、大脳基底核と前頭前野のループ構造が音列分節化を可能とし文法へと至る、海馬・扁桃体と前頭前野のループ構造が状況分節化を可能として意味が発生する、そうして言語が発生します。この三つがないとダメで、例えば鳥とクジラは文法と発声学習はできるけど、意味がありません。テナガザルは文法と意味はあるが、発声学習がない。三つ揃っていたのがホモサピエンスだった。ホモサピエンスが登場したのは20万年前ですが、15万年前にはいま述べた言語の生物進化は止まった、その後は文化的な進化によって言語が完成されたのではないかと考えています。
 言語の単一起源と多様化  質問:地球上には7000程度の言語があると言われていますが、言語は多発的に誕生したと考えますか?それとも一箇所でできたのが多様化したと考えますか?
 多分、後者だと思います。例えば、どんな言語でもS、V、O、C、主語、述語、目的語、補語でできているわけですが、実際ヒトが用いる構文のパターンはごく一部に限定されている。そうしたことからも、出アフリカの前に言語が出来たのではないかと考えています。小さなサピエンス集団から始まったものが、他の集団にも広まっていった。種分化と同じで、地理的な隔離が起こると伝達される形質というのは変異を起こすので、それでまず多様化しますよね。それから、隣りのやつとは口を利くなというような、集団の帰属を明白にするためにあえて多様化するという、その2つで多様化していったのではないでしょうか。

 ―実際の質疑は到底ここにはまとめられないほど縦横無尽に活発だった。岡ノ谷氏の発表のスケールを思えばそれも当然で、言語の起源は、生物学、言語学、考古学、心理学、人類学など多様なアプローチを巻き込んだ一大学際領域であるにとどまらず、学術に限らず芸術でも扱われてきた、終わりなき問いである。私自身、詩人・アーティストとして、言語の起源をテーマにした展示やパフォーマンスをしたことがあったが、岡ノ谷氏の生物学的シナリオの緻密な大胆さにはワクワクした。目下、映像人類学者(人類学と映画、アートが交差する文化人類学の一領域)として従事しているトゥワ・ピグミーの研究では直接言語を扱わないものの、心や感情といった領域を探求しているので、岡ノ谷氏の問いにも共鳴するものが多々ある。
 一方で、ピグミー研究という私の専門分野に関してはもっと議論がしたかったし、本質主義的に普遍を探求する生物学と、社会構築主義の立場から多様を探求する映像人類学の学術的前提の違いに戸惑うこともある。学術領域の違いは世界を構築する文化の違いであり、時に隔絶させる壁として立ちはだかる。
 そうした対話の困難を前にして、私が専門性に閉じこもって他領域を否定したととしても、そう珍しいことではないのかもしれない。しかし、そうした態度は学者として真に知的と言えるだろうか。領域の壁はむしろ星間距離のような隔絶かもしれない。きらめきは視認できるがたどり着けない。しかし研究者同士が距離を超えて声をかけ合い、知識と方法論、技術を持ち寄って批判的に互いを乗り越え、これまでになかった理論を構築する。そうして初めて、個々の限界を越えた耐用性と応用性の高い理論、宇宙空間へと突き抜けられるのではないか。地球外生命体との接触を願って、地球の生命と文化を収録したボイジャー号のゴールデンレコードには55の言語と27の音楽が収められている。その中にはムブティ・ピグミーの歌も含まれている。
 岡ノ谷氏は真の文理融合、人文系主導の文理融合を目指して2022年度から帝京大学先端総合研究機構に移り、精力的に研究している。言語だけでなく、意識、感情、心といった難問に果敢に領域横断的に挑んでいる。学術の知的興奮は、細かい緻密な議論を構築した果てに、答えなど簡単に出ないビッグクエスチョンに挑むことにこそあるのではないか。真の知性とは何か、どうあるべきか考えさせられた。
 凡そ4万年後、ボイジャー号に乗ったムブティの歌はアンドロメダ銀河に到達する。

 

ふくだ ぺろ

立命館大学大学院先端総合学術研究科 一貫制博士課程
2022年度 鳥井フェロー

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