歴史とイマジネーション

青木 耕平(あおき こうへい)

愛知県立大学講師
2018年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者

歴史とイマジネーション

青木 耕平
Kohei Aoki

歴史とイマジネーション

青木 耕平 Kohei Aoki

 2023年4月中旬、京都市某所にて堂島サロンが催された。テーマは「歴史とイマジネーション」。講師として招聘されたのは、多くの歴史小説を世に発表してきた澤田瞳子氏。2021年、コロナ禍のなかで開かれた鼎談において、「人間にとって大事なのはやはり想像力だ」と説いた澤田氏ほど、本テーマを語る適任者はいない。そして実際、氏の講演は紙幅が許されるならば全文引用したいほどに面白く、本稿執筆者はメモを取る手が止まらなかった。まずは以下に氏のレクチャーの要約を記したい。

 講演はまず、「歴史小説」と「時代小説」の違いを明らかにすることから始まった。澤田氏曰く、歴史小説は史実に基づき、実在の人物が多く登場し、物語の中心となるのは著名な人物・事件である。このジャンルを代表すると看做されている作家に司馬遼太郎がいる。対して時代小説において主に描かれるのは架空の人物であり、実際の日本史の重大事件そのものが描かれることは稀だ。山本周五郎や藤沢周平が、時代小説を代表する作家である。このことからわかるように、狭義では江戸を舞台にする作品のみを時代小説とする向きもある。
 以上の分類の後、澤田氏は自らを歴史小説家であると自己定義したうえで、歴史小説には様々な歴史イメージを一般化する性格がある、と語った。実体験として、氏の小説『若冲』を読んだ読者から「伊藤若冲ってああいう人なんですね」という声が寄せられ、『星落ちて、なお』発表後には「河鍋暁斎ってこういう人だったんですね」といった感想が多く届いたという。虚構=フィクションとしての小説、という大枠の前提が抜け、そのまま史実として「歴史小説」が捉えられてしまうとき、イメージの固定化が起こる。
 その最たる例として、坂本龍馬と織田信長の二名の名を澤田氏は挙げた。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や多くのTVドラマにより、もはや日本国民は「ぜよ」と言わない坂本龍馬を想像できない。また、史料としての「信長公記」に書かれた織田信長ではなく、それをもとに書かれた坂口安吾『信長』が戦後における信長像を決定づけた。そのように作り上げられたイメージが一般化し、時を経て固定化されてしまうと、それを覆すことは難しく、なにより我々自身が無意識にそれを拒んでしまう──。
 ここまでで十分に興味深い内容であるが、「歴史小説家」であると同時に、大学院で歴史学を学び、一次史料を読み込める澤田氏の議論は、ここよりさらにスリリングになっていく。氏は、このようなフィクションによる歴史イメージの普及/固定という功罪を挙げながら、しかしそもそも現在資料とされている様々が歴史の固定化に寄与していることもある、そう議論を展開していったのである。たとえば菅原道真は、広く「世を恨みながら死んだ」というイメージが人口に膾炙しているが、それこそが道真を祀る必要に迫られ神格化されたものではないのかと、貴重な当時の歴史史料を交えて語る氏の議論は非常に刺激的だった。
 道真だけでなく、平将門そして伊藤若冲について同様に語ったのち、氏は、現在の日本では人々が「わかりやすい歴史」を求める傾向が強い、と危惧を述べた。そのような傾向は出版業界にも強くあり、「感動できる」歴史小説を書くことをリクエストされるが、「感動できない歴史」を書いてもいいのではないか、というその発言に、氏の歴史小説家としての矜持を見た。

 澤田氏の講演に触発され、質疑応答も大変な賑わいを見せた。ここに、いくつかの受け答えも記しておきたい。最初に投げかけられた問いは、人々の「わかりやすい/感動できる歴史」を求める心性が理解し難い、それならば過去の歴史ではなく現在の物語を読めばいいのでは? というものだった。それに対して澤田氏は、そのような人々が歴史に望むのは「連続性」であり「共通点」であって、現在の価値観で歴史を解釈したい、という欲望が裏にあり、その欲望の受け皿になっているのが、たとえば「アウシュビッツはなかった」というような言論ではないか、と答えた。
 当日の参加者には、「時代小説」の作家もいた。氏は、講演初めの時代小説と歴史小説の差異に触れながら、時代小説は大きな史実を扱うのではないゆえに、物語の舞台や土地など詳細なリアリティの地固めを徹底的に行うのだとした。そのうえでやはり最も難しいのはメンタリティーの部分であると氏は語り、たとえば第二次世界大戦は時間的には「近い」がメンタリティーとしては「遠い」ものであり、むしろ江戸時代は時代的には「遠い」が庶民の心性などは「近い」ものがあるのではと意見を述べられた。さらに氏は、歴史の主体と客体との関係性について、時間も距離も「遠い」がゆえに客観的になりうるその反証として人々が書く「自分史(自伝)」の虚飾さと、同時代を俯瞰で見ることの難しさにも言及された。
 全体討議でなにより盛り上がったのは、司馬遼太郎についてであった。司馬は確かに様々な歴史イメージの固定化に寄与した張本人であるが、しかし同時に司馬おらずして日本人が幕末や明治に対する歴史イメージをそもそも抱けたのであろうか。司馬だけでなく数多くの歴史小説家が議論の俎上に上がり、所定の時刻はあっという間に過ぎた。なぜ歴史小説が好きなのか? という最後になされた直球の問いに対し、「歴史が好きだから。小説の想像力で塗りつぶせる余地が歴史にはある」と氏は力強く返答した。そして、その一例として、奈良時代から宮廷に仕える女性たちの間に生理休暇はあったのではと推測はできるが、ずばりそれを記した史料がない限り学者は論文を書くことが出来ない、対して小説家は一歩そこに踏み込むことができるのだとし、「学者は柱をつくり、小説家が壁を塗る」と語った。確信をこめて核心をつくその発言に、末席に参列していた報告者は痺れた。

 このように、最初から最後まで大変な充実度のまま今回の堂島サロンは閉じられた。レクチャーそして全体討議を聞きながら、報告者はアメリカにおける「歴史と想像力」に思いを巡らした。広く知られているように、映画監督D.W.グリフィスによる『國民の創生』は、偏見に満ちた描写で黒人を知性のない野蛮な人種であるとするイメージを広く流布し、KKKを称揚しナショナリズムを煽った。映画版『風と共に去りぬ』もまた、陽気だが魔の抜けた黒人、というステレオタイプを再生産しイメージの固定化に加担した。過去に作り上げられた歴史イメージは、未来を縛る枷となる。そして昨今、おもに創作の分野で、このような固定化された歴史イメージを覆そうという動きが広がっている。
 ここで当然想起する語は、「修正主義」である。強調しておきたいのは、この語がもつ意味が日本とアメリカとで異なることだ。日本語における「修正主義」は、まさに澤田氏が講演で問題提起された「アウシュビッツはなかった」といった、歴史事実を否定する不名誉な語である。しかし、このように日本で使用される「修正主義」は、アメリカの文脈においては「否定主義(Historical Denialism)」または「否認主義(Historical Negationism)」にすぎない。ここで私が想起した「修正主義」は、このような否定言説ではなく、むしろまさに澤田氏が「捏造された歴史イメージを変えていく」ものとしての「Revisionism」のことである。
 アメリカにおいてこの語は1960年代のベトナム戦争反対運動を契機として、アメリカの帝国主義を批判する人文学の運動として醸成され、のちにフェミニズムや多文化主義の隆盛とあいまって、WASP中心主義、男性中心主義一辺倒であったアメリカ史に再考を迫る大きな潮流を形成した。そのなかで、小説というメディアはまさに澤田氏が講演で述べた「実証主義一辺倒に対する疑義」として多大な役割を負った。歴史家は史料のないものは描けない。しかし小説家は、歴史に葬られていった者たちに声を与えることができる。虐げられてきた人々の歴史を、想像イマジネーションによって創造クリエイションすることができる。いやむしろ、歴史を再考revisionするとき、イマジネーションは欠かすことができない。

 当然このような運動と、歴史学における「言語論的展開」は重なっている。ポスト・コロニアル・スタディーズも、サバルタン・スタディーズも同じ使命を帯びている。これらは全て、固定化された支配的な既存の歴史認識・歴史叙述への挑戦としてある。このある種のラディカリズムは当然反発をうみ、1990年代に文化戦争としてアメリカの分裂を呼び込んだ。アメリカの文化戦争は最初から人文知や歴史認識をめぐるものとしてあった。この闘争が「わかりやすい歴史」を求める保守派を動員し、「かつてアメリカは偉大だった」というこれ以上ないほどにわかりやすい歴史観をアメリカの多数が支持してしまった、という現実は消えない。トランプもまた、歴史ナラティヴを捏造し、悪用したのだ。歴史叙述をめぐる戦いは今も継続中であり、この前線は永遠に武装解除されることはないだろう。
 私たちは、歴史を無視することをしてはいけない。否定と捏造による虚構の歴史叙述に安易に耳を貸してはいけない。そこに史料があるのだとしたら、向き合わねばならない。実証主義一辺倒ではダメなように、イマジネーションの一点突破も歴史叙述には許されない。私たちは「歴史か想像力イマジネーションか」といった二者択一ではなく、「歴史と想像力イマジネーション」その双方を必要とする。歴史と想像力イマジネーション、そして小説フィクション。議論されるべき問いが議論された、あまりに刺激的な夜だった。

 

青木 耕平(あおき こうへい)

愛知県立大学講師
2018年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者

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