岡村 健太郎(おかむら けんたろう)
近畿大学講師
2015年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者
岡村 健太郎(おかむら けんたろう)
近畿大学講師
2015年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者
新型コロナウィルス・ウクライナ情勢などのグローバルな問題から、限界集落・空き家問題などのローカルな問題まで、現代社会は「やっかいな問題」で満ち溢れている。この「やっかいな問題」について、今回の堂島サロンにて登壇いただいた永田宏和氏も共著者の一人となっている著書のなかで「問題の輪郭がはっきりしておらず、こたえがあるのかどうかがよくわからない」そのような問題のことを指すとされている(堂目卓生・山崎吾郎編. やっかいな問題はみんなで解く. 世界思想社, 2022)。やっかいさゆえに未解決のまま先送りにされ世界はやっかいな問題で満たされていく、そんな負の連鎖のさなかに我々は立たされているのかもしれない。特に成長社会から成熟社会への移行期に当たる現代日本においては、既知の方策では解決できない多種多様な問題が顕在化しつつあるとも考えられよう。
そうした問題に対してみなが手をこまねいているかというと当然そうではなく、すでに様々なアプローチから解決が試みられている。今回登壇いただいた永田氏も、現代社会が抱える様々な問題に取り組む先駆者のひとりである。その先駆性の一つは、純粋に取り組みの量と質が頭抜けている点にあると今回の発表を伺って感じた。参加者が少ない防災訓練を子供に大人気のイベントに生まれ変わらせた「イザ!カエルキャラバン!」、子供がプロの指導を受けながら現実さながらのまちづくりをおこなう「ちびっこうべ」、そこから派生した男性高齢者向けの「男・本気のパン教室」など、紹介された事例はどれも魅力的でまちが抱える問題を見事に解決していた。ただし、永田氏が今回登壇した理由は、やっかいな問題をいとも簡単に解いてしまういわばスーパーマンとしての役回りを期待されたということではなさそうである。むしろ重要なのはもう一つの先駆性、すなわちやっかいな問題を誰もが解けるようになるための方法論を獲得しつつあるようにみえる点にある。実際に講演後の質疑応答では、どのようにすれば永田氏のように問題解決を導くことが可能なのか、その方法論の普遍性をめぐる議論が展開された。
そもそもやっかいな問題は、関連する主体が入り組んでおり、また時間の経過とともに状況が変化するなど、何をもって解決とみなすことができるのかということすら簡単に定義することができない。一つの問題解決すらままならないのだから、問題の解決に向けた普遍的方法論を導くことはさらに高次の難しさを孕むことになる。そうしたなかで永田氏が問題解決のための方法論構築に向けて自らの経験を開こうというスタンスが非常に印象的であった。ただし本人も講演の中で述べていた通り、必ずしもその方法論が完全な形で言語化されているわけではない。そこで、筆者なりにやっかいな問題の解くための方法論をめぐる当日の議論の整理を試みたい。筆者が専門とする建築史とはお門違いのテーマであることは重々承知であるが、建築を含むデザインそのものが問題解決の一種であるとするならば、建築学における議論ともオーバラップする内容も少なくないはずである。
まず永田氏は、地域を豊饒化させるためには、その地域にとどまる土の人、外から強い種を運んでくる風の人、そしてその種を世話する水の人の3つのタイプの人が必要であるとし、自らを風の人と位置付けている。そして強い種に必要な条件の一つとして挙げられたのが、「不完全プランニング」である。「不完全プランニング」とは、地域にて実行するプログラムをあえて不完全にすることで、土の人の関わり代(しろ)を残すということを意味する。プランニングという思想が不確定要素を排除しトラブルを未然に防ぐことを目的としているとすれば、それをあえて不完全にするのは自家撞着といわざるを得ない。ところが永田氏の「不完全プランニング」の概念は、実はプランニング思想こそ計画者と被計画者の分断を生み出す要因なのではないかという鋭い批評性を帯びていることに気付く。いわれてみれば確かにその通りで、そのネーミングの妙もあり当日の質疑応答でも多くの賛同を得た。
この言葉を聞いて思い浮かべたのは、チリの建築家アレハンドロ・アラヴェナの「キンタ・モンロイの集合住宅」(2004年)である。この住宅はスラム街の改善に向けて提案されたいわゆるソーシャルハウジングであるが、調達された予算は全く不足していた。そこでアラヴェナは最初にコンクリートで住戸の半分を建設し残りの半分は住民のセルフビルドに委ねることを提案した。結果的にセルフビルドに手慣れた住民らによる個性豊かな街並みが創出された。アラヴェナは初期設定を未完成な状態にしてその後の漸進的な変化を許容する自らのデザイン手法を「incremental design(漸進的デザイン)」と命名し、それを自身のコンセプトの根幹に据え様々な社会問題の解決につながる建築設計活動を展開している。こうしたアラヴェナのスタンスは、計画者と被計画者のボーダーを排し高次のレベルで両者一体となりプロジェクトに参画するという点で、永田氏の「不完全プランニング」とも呼応している。全体コントロールを目指す近代的なプランニングではうまく解決できないやっかいな問題に対峙したからこそ生まれたシンクロニシティといえる。
また、強い種に必要なもう一つの条件として挙げられたのが、「+クリエイティブ」である。それが単に地域での活動プログラムを魅力的にせよということだとすれば至極当然の命題であり、あえて名前を付けて主張するほどのことでもない。当日の質疑応答でもこの点については議論が深まることはあまりなかった。ところが、筆者はこの考え方もやっかいな問題に対峙する方法論を導くうえで非常に重要なポイントであると感じた。永田氏によれば「クリエイティブ」という言葉はゼロから一を生み出すようなイメージを想起させるが、「+クリエイティブ」は既存のものを焼きなおすことによってもたらされるという。また前述の著作のなかでもう少し直截的に説明している。曰く、「他分野にこそイノベーションを生み出すヒントが隠されている」と。ありていに言ってしまえば、既存の知見を参照せよということにほかならない。創造行為と参照行為の間には一見ギャップがあるように思われるかもしれないが、筆者はこの考えに大いに賛意を表したい。筆者は建築学科の学生を指導する際にも、常々「パクれるところはパクってしまえ」と言っている。あくまで問題解決が目的であると割り切ってしまえば、いきなり自分で全部解決することを目指すより、まず既知の解決策がないかを探るほうがよほど生産的であると考えるからである。事実一流の建築家が実は模倣の名手であるといった例は枚挙に暇がない。
そのうえでさらに重要なポイントは「他分野で」という点にあると考える。問題解決において、問題と解決は同じカテゴリーに属している必要があると考えられがちである。特に行政が関係する事業は縦割りの弊害もあってかそうした傾向が強い。ところが、防災訓練を所管するのが防災部局であるからといって、防災訓練の参加者が少ないという問題の解決に必要なのは必ずしも防災分野の知見というわけではない。実際に、カエルキャラバンにおいて永田氏が採用した解決策のカテゴリーは「防災」というよりは「遊び」や「イベント」であった。思考のフレームワークをあえて他分野にスライドさせることで、解決に向けた幅が広がるのである。このように「+クリエイティブ」は単に魅力向上のためのモットーというよりは、問題解決に必要な普遍的手法として要請された概念であることに気が付く。
こうしてみると永田氏が手掛けてきた問題解決の成功事例は、瞬発的なひらめきにより偶然もたらされたというよりは、普遍解の探求から必然的にもたらされたと考えたほうが自然であろう。ただし普遍解を簡単に導けるほど、やっかいな問題は単純な相手ではないのも確かである。例えば当日の質疑応答においても、提案された楽しいプログラムに乗っかることができない人たちの存在に関する議論があった。一つの問題解決が、そこに乗っかることができる人とできない人の分断という別の問題を生み出しかねないという指摘である。また、当日の議論でも話題にあがった人材育成も、社会全体としての問題解決のキャパシティを上げるために重要な論点であるといえよう。ボトルネックは、そうした職能に対して十分な対価を支払うという習慣がない点にあるのではないかと考える。そこで、手始めにその職能に名前を付けることを提案したい。たとえば風土コーディネーター、あるいは横文字を排し地域豊饒家。近い将来、地域豊饒家(仮)たちが永田メソッドを手に情熱を胸に日本各地で様々な社会問題に取り組む姿を目にすることになるであろう。
岡村 健太郎(おかむら けんたろう)
近畿大学講師
2015年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」被採択者