天皇を論じる時代
佐々木 雄一 Yuichi Sasaki
平成も残すところ半年を切った2018(平成30)年11月9日、第12回サントリー文化財団フォーラム・東京が開催された。「天皇の近代」研究会がその活動を終え、『天皇の近代――明治150年・平成30年』(千倉書房)として研究成果がまとめられたのを機におこなわれたものである。登壇者は研究会メンバーの原武史氏と河野有理氏。研究会主宰者の御厨貴氏からも、研究会の狙いや今後の展望についてメッセージが寄せられた。
「結果として、結果のほうがむしろ能動的」。
天皇退位をめぐる一連の流れに関する御厨氏の言である。このあたりが、フォーラムのキーワードになっていたように思われる。
2016年8月に「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(以下、「おことば」)が出され、やがて退位の道筋がつけられていく。メッセージを国民に向けて発するという能動的な行為によって、終身在位の原則が少なくとも現天皇に関しては解除された。
しかし、話はそこで終わらない。「おことば」が発せられて以降、退位問題と関連して、天皇や天皇制についてさまざまな議論がなされた。天皇を論じる日常の登場である。今回のフォーラムもまた、その一つのピースと見ることができるだろう。「天皇の近代」研究会自体は2015年に始まったのであって、退位問題を受けて発足したわけではないが、2018年時点になってみれば、それと無縁ではない。これから平成の終わりをどのように捉え、論じていくかという実践的な課題があるからこそ、多くの出席者を得て熱気を帯びた会となった。
折しも、11月9日は秋の園遊会がおこなわれた日であった。新聞各紙には、「平成最後の園遊会」の文字が並んだ。
もちろん昭和にも、結果的に昭和最後となる園遊会はあった。しかしそれは、「昭和最後の園遊会」としては報道されない。「昭和の終わり」が昭和の間に大々的に論じられることはなかった。
それに対し平成の場合、平成最後の夏、平成最後の年賀はがき、といった具合に、そもそも「平成最後」という言葉がそこかしこで使われている。そして「平成の終わり」が、平成の総括が、あるいは新たな代の展望が、ごく自然なことのように平成のうちに論じられているのである。
摂政の設置では、そうはならなかった。「おことば」を発するという行為、その内容、その後の議論、そして退位の日が定められたことは、すべてが相まって、天皇をめぐる言説空間と時代の論じ方を変容させた。
それでは、以上のような現象は歴史的文脈のなかでどのように位置づけられるだろうか。
一つは、フォーラムで河野氏が『天皇の近代』の読み方として示した、「動く君主/動かない君主」の枠組みが考えられる。同書を通読すると、いわば動きすぎる君主である光格天皇をいかにして封じ込めるかというところから、明治憲法(大日本帝国憲法)下で動かないことになっている立憲君主がどのように動いたかを論じた諸論考まで並んでいるというのである(原氏の論の場合には、天皇に加えて皇后・皇太后も射程に入ってくる)。研究会メンバーはそれぞれの関心に基づいて書いたのでそれは半ば偶然なのだが、たしかにそのような流れに見える。御厨氏によれば、研究会名を(「近代の天皇」ではなく)「天皇の近代」としたのは、天皇という存在には近代の枠に収まらない部分、近代と合わない部分があるのではないか、という着想からだった。「おことば」はまさにその視角を裏づけ、『天皇の近代』の論考も期せずしてそれに即応するかたちになった。
もう一つは、天皇・天皇制は変わらないなかで変わり続ける、変わることで継続する、といった視点である。これは研究会でも繰り返し論じられていた。フォーラムにおいて原氏は、天皇の「動き方」の今後に関する質問に対し、種別の増減や変化よりも、同じ名称の行為であっても実態や意味が変化するところに着目すべきかもしれないことを示唆した。例えば一口に天皇の「旅」といっても、どれほどの頻度で、どのようなときに、どこに行くのかによって、その意味合いは変わってくる。
ここでもわれわれは、平成の間に変容してきた天皇の「旅」を振り返り、次代はどうなるのかと思いめぐらせている。「おことば」によって喚起された議論である。『天皇の近代』の論文に書いたことだが、天皇の名で国民にメッセージを発すること自体は、明治時代以来おこなわれている。そうした天皇のコトバに天皇自身の意思が込められるというのも、昭和戦前期から見られる。しかしながら、天皇の問題提起を受けるようなかたちで天皇・天皇制のあり方について活発な議論が生じるというのは、新しい現象である。こうした、天皇と人々との間に循環的に何かが積み重なっていく様子、作用の双方向性は、単に国民の支持に支えられた天皇制ということを超えた、平成流の到達点なのかもしれない。