成果報告
2023年度
日本酒醸造の変遷と言葉による味覚表現の関係史の構築を目指して
- 京都府立大学文学部 共同研究員
- 母利 司朗
〔研究の目的・概要〕
近代の日本酒については、日本酒度や酸度といった機器分析による数値指標が残っており、かなりの程度その味を推定することができる。しかし、数値指標のわからない近世の酒については、それがどのような酒質であったのか、どのような味であったのかを明らかにする手段は限られてくる。従来の江戸時代の酒質研究は、当時の醸造技術書に記された仕込み配合比率による推定やそれらに基づく再現実験など、もっぱら醸造学の観点から、いわば生産者の側に立っておこなわれたものが大半であった。しかし酒は嗜好品であり、江戸時代の酒の味を考えるにあたっては、酒を飲んでいた人々(消費者)の側に立った研究も欠かせないはずである。
江戸時代、酒を飲んでいた人々は、酒の味への感想や好みについて、様々な「証言」を文字として書き残している。これらは俳諧や戯作という当時の俗文芸に何気ない言葉と表現で豊富に残されているが、それらを拾い取り分析していくことにより、従来もっぱら醸造学の側から言及されてきた江戸時代の酒の味を、人の官能による生き生きとした言葉を通して明らかにすることができるであろう。そしてそれらを従来から研究の進んでいる醸造学の研究成果と連結していくことにより、新しい知見が得られるはずである。
〔研究の進捗状況・新たに得られた知見〕
以上の目的を見据えながら、江戸時代の文学研究を専門にしているメンバー2名を中心に、江戸時代の文学ジャンルの中の俳諧と戯作から、酒の味についての感想や好みに関わるような記述をピックアップし、それらを好悪の視点から整理し、江戸時代という長いスパンにおける嗜好状況を明らかにしてみた。その結果は、現代と同じく、基本的には「甘」「辛」という言葉を中心としたものであり、多くは「辛」い酒への嗜好のきわめて強かったことが判明した。ただし、江戸時代大半の時期の酒が現代とは比べようもないほど甘かったことを考えると、言葉としての「辛」が、現代の酒について言われる「辛」と同じものであったとは考えられず、現代と同じ尺度で「甘」「辛」を論じることのむつかしさを感じた。
〔今後の展開〕
研究の途中から、全国の蔵元の中に江戸時代の酒を復元しようという試みのあることがわかった。それらの酒がどのような文献に基づいて復元されたのか、またその酒の質はどのようなものであるのか、といった調査を実行し、文学作品の中の言葉による酒質研究と関連付けさせていきたい。また、江戸時代の文芸の中の言葉を通して江戸時代の酒の味、酒への嗜好を考えた今回の研究は、江戸時代260年をひとかたまりとした研究であり、日本を一つとみなした研究であったが、時代と地域を細分化することにより、江戸時代における酒質の変化や、地方ごとの酒嗜好の異なりを詳しく明らかにすることができるであろう。今回2年目の継続申請を許されたことでそれらへの進展をはかりたい。
2024年9月