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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2023年度

戦後日本における個人書店の社会文化史――オーラルヒストリーによる調査と分析

跡見学園女子大学文学部 教授
富川 淳子

1.研究目的と進捗状況
 本研究は首都圏の個人書店経営者やその家族を対象に、出版は不況知らずといわれていた昭和30~40年の書店の商習慣や日常をオーラルヒストリーの手法を用い、資料的に蓄積の少ない個人書店の商いや生活を記録として残すことを第一目的とする。
 2023年9月以降の1年間で以下の10書店12名のインタビューを実施した。■キリン堂書店(世田谷区)2代目経営者長女・富川淳子(昭和28年生まれ)■南天堂書房(文京区)2代目経営者妻・奥村芙佐子(昭和42年結婚)、2代目経営者次女・3代目経営者、奥村知佐子(昭和44年生まれ)■真光書店(調布市)2代目経営者長女の夫・矢幡秀治(平成14年に入社。日本書店商業組合連合会会長、東京都書店商業組合理事長)■王様書房(目黒区)昭和43年から経営者・柴崎繁■甲文堂書店(世田谷区)3代目経営者妻・越石秋子(昭和49年結婚)■優文堂(世田谷区)2代目経営者妻・鈴木禮子(昭和44年結婚)■不二屋書店(目黒区)2代目経営者次女、3代目経営者・門坂直美(昭和25年生まれ)■中島書店(千葉市)3代目経営者・中島浩(昭和36年生まれ)■大和書店(葛飾区)2代目経営者・田中隆久(昭和43年生まれ)■南進堂書店(荒川区)3代目経営者・山本弘(昭和45年生まれ)、創業者長女、2代目経営者妻・山本君子(昭和18年生まれ、昭和40年結婚)

2.オーラルヒストリーから得られた知見
 本の利益率は22~23%、教科書は12%であり、文具の30~40%と比較しても低いが、昭和30~40年代は薄利多売のビジネスモデルが好循環していた時代であった。土地を取得、自己所有物件をビルに建て替える資金繰りができるほか、駅前店舗の賃料を支払っても経営が成り立っていた。当然、その商いは忙しく、書店には日曜を除き、取次から毎朝、大量の書籍や雑誌が届く。これを店頭や書棚に並べ、定期購読者に配達するために従業員を何人も抱えていた。経営者家族も店舗の上に住み、従業員とともに朝早くから終電まで年中無休で働き、家族揃っての食事や家族旅行などの記憶はないという証言が目立った。また、昭和40年代中頃まで従業員は住み込みが多く、家族の一員として生活していた。その中からその後30~40年以上勤務する店長が何人も誕生している。ちなみに従業員は新潟出身が多かった。
 書店の日常の忙しさにさらに拍車をかけていたのが出版社との付き合いと書店商業組合活動である。販売促進のために出版社との書店と関係は密であった。書店との勉強会なども定期的に開催され、新刊や全集など大型シリーズの説明や在庫管理のために出版社の販売部員が個人書店を頻繁に回っていた。全集や百科事典の売り上げに対する報奨金や海外旅行招待、パーティなど接待も盛んに開かれ、経営者の妻を対象にした集まりも企画されていた。さらに本の再販売価格維持制度は昭和28年に成立したが、それ以後書店の利益率を上げる活動や競合店の近隣の出店阻止、わいせつ雑誌の取り扱いなど書店同士が協力し合って役所などと交渉すべき問題も多かった。従って書店商業組合の会合も頻繁に開かれ、加えて潤沢な会費を資金とした経営者同士の懇親会も盛んだった。その結果、経営者は組合活動のために留守がちとなり、店を家族や店長に任せることも多かったという。

3.成果と今後の課題
2024年春の時点で新刊書店の店舗数は10年前の約7割に減少している。今回のインタビューした10店舗のうち2軒は廃業、3軒は店舗があった場所を賃貸にして店舗を移転、あるいは縮小するなどして、不動産収入と教科書販売を中心に書店を運営している現実が明らかになった。さらに現在の書店減少の兆しは昭和50~60年代に10軒中、4軒が支店をだしたものの、家賃と人件費負担でその後数年間で撤退した動きに見て取れる。薄利多売のビジネスモデルが成立した時代の記録を通じて、書店を守る策としてまず第一に「利益率を上げる」という方向性は見えたといえるだろう。今後はこのオーラルヒストリーを社会文化史としてまとめ、単行本化して広く世に伝える予定である。

※現職:元 跡見学園女子大学文学部 教授
2024年9月