成果報告
2023年度
議論の現在的な軛とその破壊、ありうべき人文学的な議論の研究 ―― テキストベースの議論の実践を通じて
- 江戸川大学基礎・教養教育センター 講師
- 下山田 周平
研究の進捗状況/研究で得られた知見
本研究は議論の「質」を評価する方法を見出すことを目的とする。そのためにまず口頭による音声ベースでおこなわれる議論とテキストベースでおこなわれる議論の間にみられる質的な差異の観察をおこなうことにした。観察の対象とする議論は大学院におけるゼミナールの談話のような長時間の議論の他、共同研究メンバーに加えて議論に参加する協力者を募り、簡単なテーマを設定した30分程度の議論を、音声ベース、テキストベースそれぞれ、継続して月に2~3本ずつ蓄積していった。また機会があれば共同研究メンバーがそれぞれに議論を採取し、できうるかぎり多様な議論を収集できるよう努めた。
こうした議論の採取と共に進められた議論データの考察、分析の方法の模索にあたって、まずは共同研究者ら自身によって音声ベースの議論の文字起こしをおこない、さらにそれを読み物として編集することで音声─テキスト間にありうる差異を見出すことから始めた。音声ベースの議論とテキストベースの議論の間にある質的な差異を観察することで得た第一の発見は、テキストの議論に比べて口頭の議論では対話に齟齬があってもしばしば意思が「通じている」ものとして扱われ、意味的な面で「何が通じているか」ということは問われぬまま進行するということである。この発見は議論の場が持つ社交的な側面がアプリオリに議論そのものと同一視される様相を浮き彫りにした。そして第二の発見は上記の齟齬の看過とも関わるが「議論の脱線、飛躍あるいは遅滞」といったいわば「あそび」を含んだ「議論の広がり」のあり方がテキストベースの議論と口頭の議論とでは異なっており、口頭の議論の方が「広がり」の程度が大きいということである。「広がり」に限らず、議論を評価する際に使用される語彙である「流れ」「深まり」「逸脱」「飛躍」「停滞」等の意味的な面に鑑みるに、そもそも議論というものが、基本的には線的に進行しつつ、時に上下の、または水平の変移を繰り返すものであると、人々は直感的に認知していたはずである。このようにして感覚的に把握されている議論の様相を可視化することができれば、複数の議論を比較することができ「質」を評価することができるのではないかという見込みを得て、我々は、議論の様相を可視化するためのモデル(仮に「ディスカスウェーブ」と名付けた)の構築を目指した。
ディスカスウェーブ構築のため、助成期間の後半では言語分析に精通する研究者の協力を得、言語分析の手法による議論の分析を試みた。議論の様相の可視化、といっても可視化の元となる指標、項目は数多あるが、幾つかの検討を経て「肯定/否定」に着目するに至り、口頭の議論をCEJCを利用して転記単位で文字化しその単位毎の発話に肯定/否定の性質にアノテーションをおこなった。その結果、議論の内容として「強い反駁」「軌道修正」「話題転換」「オチ」のある部分では、それぞれに特徴のある肯定/否定の入り交じりが見られた。これらの部分は議論の中では別々の働きをするにもかかわらず、俯瞰してみれば同様の特徴を有していると見られる一方で、データのより細部に注目すると、その役割に応じて異なったアノテーションの様相を呈しており、議論の力動の複層的な側面が記録されていることが観察された。特に議論の要点となる部分の分析において足りない部分を見いだせたことが大きな収穫だった。
成果
・一橋大学言語社会研究科・くにたち公民館連携講座「ディスカッション再考~書き言葉による議論の進め方~」(講師:浦野歩、長田祥一、下山田周平、納谷耕世)」(株式会社ロゴステラとの共同講座)(2024年2月~3月、全4回)
・国立国語研究所主催、言語資源ワークショップ2024インタラクティブセッション発表「議論の様相を可視化するモデル構築に向けたアノテーション方法の検討」(2024年8月28日)
・一氾文学会発表「議論分析事始──議論の現在的な軛の破壊を目指して」(2024年9月7日発表予定)
今後の課題
議論の要点においては、謂わば議論に新たな地平が開けたり、ある発話と他者の発話、ないしその議論の基盤に関わる問題との関係に新しい構造が生まれたりしているはずだが、それらをくみ取ることができるような評価軸、あるいは肯定/否定といった力動、あるいはそれらの力動が向かう対象に対し、より精緻な分類や表記方法を創出することが今後の最も大きな課題である。
研究発表に際していただいた、議論の要点であると判断される箇所に対する客観的な指標の提示の必要性についての指摘は、田中弥生・浅原正幸共著「修辞ユニット分析における脱文脈化指数の妥当性の検証」(『国立国語研究所論集』15号(2018), pp.1-15)における「脱文脈化指数」などを利用することで、上記課題と併せて対応が可能となることが見込まれるが、その手法をどのように本研究に適用できるか、そもそもその手法が本研究に有効かについては今後継続的に検討をおこなう予定である。
2024年9月