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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2023年度

不可視化への抵抗:「世系と職業に基づく差別」と「日本美術史」に関する研究

多摩美術大学美術学部 非常勤講師
小田原 のどか

研究の目的と進捗  本研究は、従来の〈日本美術史〉に記述されなかった「世系と職業に基づく差別」に関わる表現や表現者を研究し、可視化することで、〈日本美術史〉を脱中心化し、社会変革の一歩とするものである。1995年に国連の「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」(以下「人種差別撤廃条約」)に加入した日本には、長きにわたり、部落差別をはじめアイヌや琉球・沖縄、在日コリアンの方々に対する差別の問題があった。天皇を中心とした帝国主義下の新たな身分制度を背景に記述された〈日本美術史〉には、「世系と職業に基づく差別」を受けた人々、特に被差別部落に関わる表現や表現者の記述が極めて少ない。本研究により、〈日本美術史〉における被差別部落に関わる表現や表現者をあきらかにすることは、人種差別撤廃と人権の尊重という面からも喫緊の課題である。
 オンラインを中心に開催した研究会では、日本思想史、部落史を専門とする研究者だけでなく、博物館学芸員の方と古地図における差別地名の問題について、また隣保館事業に関わる施設職員の方と地域と人権について対話を重ねた。研究会と現地調査で得た知見は、「研究発表集会」として一般に公開した。2023年12月には、元崇仁地区へ移転したばかりの京都市立芸術大学を会場に第1回研究発表集会を開催し、続く第2回研究発表集会は、2024年5月6日に国立西洋美術館講堂を会場に開催した。同館の開館65年を記念した企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問:現代美術家たちへの問いかけ」において、研究代表者の小田原は参加作家のひとりとして招聘され、地震と思想転向を主題とする作品を展示した。ここでは国立西洋美術館が収蔵するオーギュスト・ロダン《青銅時代》《考える人》が転倒した状態で展示され、あわせて西光万吉による晩年の自画像《毀釈》(西光寺蔵)が壁に掛けられた。水平社宣言の起草者である西光万吉の画業が国立美術館で初めて紹介される機会をつくり、研究発表集会の開催とあわせて、本研究の意義を広く問いかけることを試みた。

研究の成果・新たな知見・課題  現地調査においては、大阪市住吉地区で彫刻家・金城実氏が住吉の人々とつくるも、半分が非公開となっているレリーフの調査を行い、その全貌が明らかになった。元崇仁地区に移転した京都市立芸術大学で開催した第1回研究発表集会では、西光寺の西光万吉の壁画の調査結果とともに住吉地区のレリーフの内容を発表し、来場者とともに、差別を抱えさせられた歴史を有する地域とアートを介した関わりと留意点について、議論を重ねた。第1回研究発表集会と同日には、被差別部落地名を含む美術作品の扱いや展覧会開催に際しての検討会(一般参加なし)も開催した。これを経て、神戸市立博物館が所蔵する古地図に記された差別地名に関する議論と接続することができた。
 大学と美術館において2回の研究発表集会を開催して、本研究の課題として痛感したのは、本共同研究により得られた知見を大学や美術館などの場とともに、地域へも還元する必要があるということだった。本研究では、被差別部落に関わる表現や表現者を不可視化してきた日本美術史の再検討と、被差別部落に関わる表現や表現者に関する展示に際しての経験が少ない美術館における指針となるような事例集の可視化、理論と実践に関する二本の柱をもって進めてきた。ここに西光寺の壁画や大阪市住吉地区のレリーフなどの作品調査と保全が加わることで、三本目の柱として、地域への還元が可能になるのではないか。とはいえ、研究成果の地域への還元とは、本研究で得られたものを「正解」として、作品の意義や価値を「教える」ことではない。本研究により、西光の壁画の新たな解釈や、金城のレリーフの全体像から作品に参加した当時の地域の人々の主体性があらためて検討され、歴史化されることになるだろう。そうした検討の過程を、地域との合意形成をふまえ、参照可能なかたちで開くことこそ、本研究が目指すものと考える。

2024年9月