成果報告
2023年度
「農民芸術」の現代的解釈に基づく地域芸術論の構築―小さな共生社会の実現を目指して
- 群馬大学共同教育学部 准教授
- 市川 寛也
●研究の進捗状況
本研究は、筆者が岩手県胆沢郡金ケ崎町で取り組む「金ケ崎芸術大学校」を起点に構想されたものである。ここでは、2018年の立ち上げ以来、宮沢賢治が1926年に記したとされる「農民芸術概論綱要」の現代的解釈に基づく実践を継続してきた。今回の研究課題では、地域社会における芸術の存在意義を明らかにすることを主たる目的とし、芸術を媒介とするコミュニティの構築を通して創造的な地域のあり方を巡るアクションリサーチを展開した。
そもそも「創造的な地域」の定義を一様に定めることは容易ではない。そこで、一つの尺度として多様な価値観や考え方に対する「開かれ」に着目することにした。こうした視点を持つに至った背景としては、社会全体が混乱に陥ったコロナ禍に活動を続ける中で、当該地域において他者を排除するような言動を目の当たりにしたことが挙げられる。さらに言えば、町民以外の公共空間への出入りを禁止する等、差別を助長するような仕組みが整えられたことも大きい。この要因を一概に地域(あるいは行政)における芸術の不在に帰着させることは早計だが、少なくとも多様な価値観に触れる機会の創出という意味において、芸術の果たす役割に着目する価値はある。
2023 年度は、感染症に対する社会の意識が変化したこともあり、従来の拠点に加え、異なる複数の場所と連携したプロジェクトを推進することができた。例えば、「かみしもお休み処」では、商店街の女性を中心に結成された「かみしも結いの会」との協働のもと、アーティストの占部史人による「マイ・スヰートホーム・ストーリー」を開催した。これは、住民の家の記憶を手繰りながら、箱などの素材を用いて造形するワークショップである。この活動には、地元の高校生もサポートスタッフとして参加し、世代を超えた交流へとつながっていた。一連の成果物は、2023年10月から12月にかけて開催したアートプロジェクト「城内農民芸術祭2023」でも展示を行った。
また、2024年1月に開催した「金ヶ崎要害鬼祭」は、子どもからお年寄りまで多くの参加者でにぎわい、異なる複数の活動が同時多発的に展開する場となっていた。高校の先生と一緒に書道を楽しんだり、地元の学習塾の先生が折り紙を教えたり、また別の机では大学生と小学生が鬼のお面をつくったり、読み聞かせを楽しんだり……それぞれが得意なことや興味のあることを持ち寄りながら、自然に学び合いが発生していた。直接的には関係のない活動が相互に影響し合う様子は、まさに小さな共生社会と言えよう。ここには、宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」に記した「誰人もみな芸術家たる感受をなせ」というフレーズを彷彿とさせる。
もとより「農民芸術概論綱要」は、理念(理想)について抽象的に書かれたものであり、読み手によって様々な解釈が可能となる開かれたテキストとしての性格を有している。それゆえに、その言葉を具体化する方法も多岐にわたる。「金ケ崎芸術大学校」の場合、金ケ崎町が掲げる「生涯教育」のコンセプトも加味しながら、生活の延長線上に学び合いが生じる場を創出することを試みてきた。そこでは、「何が芸術か」を予め規定するのではなく、それぞれの興味があることや得意なことを出発点としながらプログラムを組み立てていく。2023年9月には、「農民芸術ゼミナール」と称して「生活の芸術化」について考える公開研究会を開催し、「芸術になる」とは何かについて議論を深めることができた。
●成果および研究で得られた知見
言わずもがな、「金ケ崎芸術大学校」は大学校と名付けているものの、学校教育法などによって定められた「学校」ではない。筆者が所属する大学の学生が授業の一環でワークショップなどに取り組むこともあるが、基本的にはここでの活動に対して何かしらの「単位」を認定する仕組みは存在しない。言わばプロジェクトの過程の中にのみ立ち上がる仮想の学びの場である。とするならば、ここではどのような「学び」が生じているのだろうか。この問いに対して、地域の中にこのような曖昧な場があることによって、それぞれの内側にある「芸術家たる感受」を表出する機会となっていることに着目した。そして、そこに集う人々は、表出する側であると同時に受容する側にもなり得る。この両者の関係性の中に、刹那的に立ち上がってくるのが「金ケ崎芸術大学校」であると位置づけることもできるだろう。
とりわけ、毎年夏に開催している「小学生ウィーク」ではこうした表出が顕著に見られる。これは、図画工作や自由研究など、夏休みの宿題をベースにした「開校日」を集中的に実施することで、期間限定の不思議な学校が立ち上がることを目指した企画である。特に、1泊2日で行う宿泊体験型のワークショップ「おとまりの時間」では、生活そのものが創造的になる状況が当然のように達成されていく。これは、先に挙げた「生活の芸術化」の一つのあり方を示しているのかもしれない。大人たちが難しいことを議論している一方で、子どもたちは容易にその壁を乗り越えていくことを垣間見た。
このように、「金ケ崎芸術大学校」の仕組みそのものは一般化することは難しいが、「小学生ウィーク」は比較的汎用性のあるプログラムとなっている。2024年8月には、群馬県吾妻郡中之条町において展開する「中之条芸術大学」のプロジェクトの一環として「サマーアートスクール」を初めて実施した。この地域では、2007年より隔年で「中之条ビエンナーレ」が開催されており、芸術によるまちづくりが推進されてきた。これは、国内外のアーティストによる作品を地域全体で展開する国際芸術祭であり、この事業をきっかけに地域に移住してきたアーティストも少なくない。今回の「サマーアートスクール」でも、移住アーティストを講師に迎え、2泊3日のプログラムを組み立てることができた。
●今後の課題
金ケ崎町の場合、これまで芸術文化行政が不在だったところに新たな仕組みとしての「金ケ崎芸術大学校」を立ち上げたこともあり、一種の異物として地域に存することから始まった。その後、5年以上が経過し、この場所に様々な視点や考え方を持つ人々が関わり続けることによって、少しずつではあるが「もうひとつのコミュニティ」が構築されつつある。これは、既存の公共とは異なる「もうひとつの公共」と呼ぶことができるのかもしれない。2024年8月に開催された自治会のお祭りでは、大学校の活動を通して制作した金ケ崎ねぶたを運行し、文字通り地元との交流を深めることができた。
中之条町の場合、2007年からの芸術活動の蓄積もあり、「サマーアートスクール」の実施にあたっては、地元自治体の多大な協力が得られた。これは、行政そのものの文化化・芸術化が深化し、外部からの異物に対する「開かれ」が達成されている状況と見ることもできる。一方で、中之条ビエンナーレ実行委員会のメンバーの話によれば、外側からの芸術に重心が置かれるあまり、地元の小さな活動(例えば、教育活動)との連携が少ないという課題も示されている。金ケ崎町の現状から見ると贅沢な悩みではあるが、地域社会における芸術のあり方は一筋縄ではいかないことも改めて実感した。
今回の研究課題では、文化芸術行政については主たる調査対象としては設定していなかったが、それぞれの地域の未来に向けたビジョンを定めていくのは地元自治体の役割でもあるため、やはり無視して通ることはできない。特定の地域に「芸術がある」ことがその地域そのものの「開かれ」にどのような影響を与え得るか、という観点については引き続き調査を進めていきたい。
2024年9月