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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2022年度

政治的急進主義と社会秩序、1932~45年─英国ファシズムの台頭と自由主義の危機─

慶應義塾大学大学院法学研究科 後期博士課程
山本 みずき

研究概要
 英国政治史の文脈において、ナチズムとファシズムは枢軸国たるドイツやイタリアの象徴であり、軍事力で防衛されるべき外的な脅威として捉えられてきた。ところが実際には、ナチズムやファシズムといった思想は独伊両政府の宣伝工作により英国内に流入し、隠然たる影響力を持つに至った。国境を越えて自由主義の国々へ伝播し、政治体制を転覆し得る内的な脅威として発展していくイデオロギーを、政府はどう阻むことができるのか。自由主義社会における社会秩序維持のために、国家権力の行使として個人の自由の制限やインテリジェンス活動はどこまで認められるのか。本研究は、国内の思想的脅威が出現した際に、英国政府がいかなる方法で社会秩序を維持してきたのかを、戦間期の英国ファシズムを事例に明らかにするものである。具体的には、英国内務省および傘下のMI5が、国内のファシズム勢力をなぜ警戒し、その思想的脅威にどう対処しようとしたのかを分析する。

研究意義
 国家は、様々な手段を用いて他国の内政に干渉することがある。時としてそれは体制転覆という、主権国家の政治体制を根本から転換するような目標を掲げていることもある。現在、非軍事的手段を用いた対外工作が現実の国際政治の世界では注目されるようになり、影響力工作や政治戦(Political Warfare)に関する研究が国際安全保障における新しい研究領域として飛躍的な進歩を遂げている。だが実際には、90年前の1930年代においてすでに独伊両政府は英国に対して対外工作を繰り広げ英国政府がその対応に苦慮していたという現実があった。外国勢力と結びついた国内のファシズム勢力に対して英国政府はいかなる論理と手法で対抗したのかを明らかにすることは、政治戦や対外工作が問題となっている現代社会において示唆に富むテーマである。

研究目的
 議会制民主主義の母国であり、第二次世界大戦でファシズム国家と戦った英国は、20世紀前半に民主化を推し進め、普通選挙権を実現させた。故に政治学の分野では民主主義が安定した数少ない事例として戦間期英国の議会制民主主義に言及することがある。この傾向に対する注目すべき例外としてStuart Middleton¹による研究があり、同時代人の個人文書を紐解き、英国においても深刻な民主主義の危機が迫っていたことを明らかにしている。これらは民主主義の後退という現代の関心を受けた近年の新たな研究潮流である。本研究もこの潮流に連なるものであり、一般にドイツやイタリアの陰に隠れて大きな注目を集めることのなかった英国ファシズムに光を当て、議会制民主主義のオルタナティブとして限定的ながらも一定程度の支持を集めたことを明らかにする。次々と権威主義体制が樹立された戦間期ヨーロッパにおいて、英国は議会制民主主義体制を維持した数少ない国家であるが、その背後では英国政府が国内のファシズム運動を弱体化させるべく様々な対策を講じていたことを明らかにする

研究成果や研究で得られた知見
 本研究は、イギリスで最大勢力を誇ったファシズム運動であるイギリス・ファシスト連合を取り上げ、ドイツやイタリアなどの外国政府とどのように連携し、連動していたのかを、新たに公開されたイギリス政府史料を用いて明らかにした。そこで浮かび上がるのは、ナショナリズムを基盤とする各国のファシズム運動が、完全に独立して存在していたのではなく、それらが相互に共振し、連動し、連携していたという事実である。同時に、国境を越えたファシズム運動・政党同士の繋がりは、強固な政治信条による紐帯を伴わず、各国組織の思惑の違いにより脆弱性をも同時に孕んでいたことも示唆された。
 しかしながら、政治的急進主義政党であるイギリス・ファシスト連合に独伊両政府から資金が流入したことで、イギリス・ファシスト連合は対外的な脅威と対内的な脅威が結び付いた事例としてイギリス政府当局に認識され、安全保障上の脅威と化し、実態以上に警戒されることになる。対外的な脅威と対内的な脅威の結合は、イギリス政府、とりわけイギリス内務省や、外務省、そしてMI5にとって、一時的に市民的自由を次善の価値に退け、戦時立法を行うほどに深刻な問題になったのである。
 従来の研究では、イギリス・ファシスト連合研究に代表される指導者オズワルド・モーズリーの視点と、イギリス政府の視点について、それぞれ別個に研究成果が蓄積されてきた。本研究の特徴は、それら双方の視点を取り入れることにより、1932年から1945年までの社会秩序に対する脅威認識を立体的に描き、イギリス政府にとってイギリス・ファシスト連合が安全保障上の脅威となっていく過程を浮き彫りにした点にある。

¹ Stuart Middleton, ‘The Crisis of Democracy in Interwar Britain’ in the Historical Journal (2022).

2024年5月