成果報告
2022年度
味覚をめぐる食の感覚人類学的研究─イタリアにおけるワインのメタファーに着目して
- 京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程
- 深谷 拓未
我々はどのように食の諸感覚(=味覚)を比喩・言語化しているのか。その際に、いかなる文化的な差異や学習過程があり、集団的に正当なものとして認識されるのか。この論点について、イタリアと日本において、ワインに用いられる表現を分析し、言語を媒介に味覚が個人の身体に留まらない、集団的なものとして生成される過程を捉える。
感覚をテーマにした人類学的研究は、歴史的な変容や記憶想起との関連で感覚の文化・社会的な側面を捉えてきた。しかし、各文化・社会における感覚の「型」(「感覚モデル」)や、個人・集団的な記憶との関連が述べられる一方、感覚を固定的に捉えがちであった。その反面、感覚を表現する際、言語と感覚との相互関係については、踏み込んだ議論はされてきてはいない。一方、言語人類学は、特定の言語のパターンやルールに従いつつも、比喩が、反復されて、継続的に変化することで、文化的な意味や価値観を創出するとしてきた。こうした比喩の特徴を捉えつつ、英語及びフランス語が基準となるワインの表現群を輸入しているイタリアと日本を対象に設定することで、ワイン消費文化における比喩の通文化的特徴と、比喩の学習過程における地域的特徴を検討する。そして、比喩(そして言語)が味覚にいかなる影響を与えており、いかなる文化的要因が介在しうるのかを把握する。
まず、計量テキスト分析ソフト「KHcoder」を用い、量的データ分析を試みたところ、イタリアと日本において似通った比喩の使用の在り方が確認される。例えば、「フルーツ」「スパイス」「リンゴ」を中心とした、共起パターンが、両地域において酷似している。これは、世界のワイン消費文化のなかで、ある程度標準化された「感覚モデル」が輸入され、現地語に直訳されることで、ワインが表現されていることがわかる。ワイン業界における「感覚モデル」として知られるのは、アロマ・ホイールと呼ばれる比喩のインデックスであるが、イタリアと日本で頻出する比喩の多くが、このアロマ・ホイールの中にも確認される。
一方、このような比喩表現が、いかに個人のテイスターによって学習されていくかに着目した質的データ分析では、第一に、比喩はテイスターをとりまく食習慣や食環境に依拠することが確認された。イタリアの6歳の少女が、白ワインの香りを常に「ミント」と表現したのは、日々の食卓で多用されるハーブ類の多さ、あるいはそのハーブ類が自生していることが関係している。このように、特定の比喩表現の学習がなされていない段階では、ワインは身近なものとの比喩で表現されうる。ただし、比喩の学習段階においても、こうした個々のテイスターを取り巻く食習慣・食環境とは無関係ではなく、むしろ、標準化された比喩を、より分かりやすく感じるようになるために活用される。例えば、日本人ソムリエ講師は、標準化された「パン・ドゥ・ミ」という比喩を、日本人学習者に理解しやすいように、「ごはんを炊いている時」「ビール」「沢庵」に似ていると説明している。そして、個々のテイスターは、最も想像しやすい比喩のさらなる比喩を選択し、もとの比喩を学習するようになる。そのため、もとの比喩それ自体に関する感覚的記憶は、この学習において必要条件ではない。例えば、筆者が「麝香」という比喩を学習したとき、筆者は麝香そのものを嗅いだこともなかった。しかし、筆者を含めた複数の学習者は、講師が複数提示する比喩の比喩と対応させることを通じて、結果的に「麝香」を使用してワインを表現できるようになった。
以上のように、ワイン消費文化においては、世界的に共有され、標準化された比喩のインデックスがあり、これが現地語に直訳されて使用される。この比喩を使うことは、特定のワインの味の特徴を識別する能力(味覚)を体得することである。標準化された比喩の学習過程においては、ワインを感じるテイスターの個人・集団を取り巻く食環境や食文化が影響し、これをベースとして、時に感じたことのない香りを、ワインに感じるようになる。それゆえ、比喩が、ワインを前にした個人の味覚を形成し、集団的な味の認識となっている。ここにおいて味覚とは、生得的で固定的なものではなく、ワインと「共に」感じる能力であり、「感覚モデル」とその学習によって変化・獲得されうる。
ただし、標準化された「感覚モデル」も、変容することもありうる。これらは、ワイン業界における
評価、生産者の生産方法、また消費者のニーズ等の多様な要因が複雑に影響するだろう。この点に関する検討は、今後さらに長期的に調査を続ける必要があり、今後の課題として付しておきたい。
2024年5月