成果報告
2022年度
脆弱な社会における民族融和と市場分断の緩和─ケニア・ナイロビ都市圏の貧困地区における実証研究─
- 武蔵大学経済学部 専任講師
- 原 朋弘
研究の動機・意義・目的
入植者によって国境線が引かれたアフリカ諸国においては、多くの国で民族・宗教が多様であり、これらの対立が国家の不安定要素に成りうる。特に都市部では、多様な個人が異なる地域から集まっており、それぞれの民族・宗教集団が空間的に近接しながらも独自のコミュニティを形成し、時として対立している。こうした都市では、一部のマイノリティは社会・経済的に周縁化され、経済活動を行う範囲や収入の機会が制限されてしまう。社会から周縁化されたマイノリティは、犯罪や非合法活動、さらにはテロ組織等に引き込まれる過激化リスクが高く、都市全体の不安定要素となる。また、宗教間で分断することで生じる市場の非効率性は都市の発展の重大な阻害要因となる。本研究は、ケニア・ナイロビ都市圏の過激化リスクが高いと言われるマイノリティグループの一つであるソマリ系住民を主な研究対象とする。協力関係にある国際NPO・アクセプト・インターナショナルが実施する職業訓練プログラムを通し、以下の2点を検証する。
①市場機会の創出が民族間の市場の分断を緩和し、それに伴い民族間の融和も促進されるか
②市場機会を創出する際に生じる民族間交流が①をさらに促進するか
研究者や政策実施者の視点からすると、コミュニティの中から政策の対象者(脆弱であり過激化リスクが高い人々)を特定することは非常に困難である。例えば、既存研究でよく用いられるランダムサンプリングは対象外の人(低リスクな人々)が含まれる可能性が高く、詳細な質問を含む包括的なセンサスと特定の属性によるスクリーニングは時間的・金銭的に多大なコストを要する。そこで、本研究では、追加で以下の問いを検証する。
③訓練プログラムが対象とする過激化リスクの高い人々を効率的に集めるための方法として、地域ネットワークの活用は可能か
経済的インセンティブに基づく市場分断の解消と平和的関係の構築を複合的に検証するという着眼点は本研究独自の画期的なものである。周縁化された人々を包摂し平和な社会を作るための方策を厳密な定量分析に基づき議論し、エビデンスに基づく政策立案に貢献するという点で、社会的にも意義深い。また、人口密度が高く情報が錯綜する都市部において特定の特性を持った個人を効果的に集める手法を確立するという点は、様々な社会政策において応用可能であり、社会・学術両面で意義深い研究である。
研究成果
本研究は複数年にわたる研究プロジェクトであり、今回申請した助成金は、研究初年度の研究デザインの精緻化、ベースラインデータの整備、およびパイロット実験に活用した。
第一に、研究デザインや質問票の精緻化、研究モジュールの整備を行った。特に、調査の中で用いる社会心理学の研究手法であるImplicit Association Test(以降IAT)は、オフライン環境下にてマイナー言語(スワヒリ語)にて調査が必要という、既存の研究環境とは異なるイレギュラーな状況であった。そこで、同様の環境でIATを実施する研究者と共同でソフトウェアの開発に取り組み、スワヒリ語・オフライン環境下での調査体制を構築した。ソフトウェア開発に関しては、Santos et al. (2023)として現在専門誌に投稿中である。
第二に、他予算(科研費・学内研究費)と併せて2023年7・8月及び2024年2月に2度ケニア・ナイロビを訪問した。現地の調査会社(Grassroots Walkers社)及び協力NPOと調整を行った。①、②に関連し、アクセプト・インターナショナルのプログラム現場を視察し、交流活動が促進されているという点やインストラクターの能力等を確認した。
また、滞在時には、③の問いに対する調査のパイロットとして、200名超の住民に対し調査を行った。本調査は、調査対象者を「紹介人: referee」として、犯罪リスクに巻き込まれる可能性が高い人々を「ターゲット: target」として連れてきてもらう必要があり、かつ紹介の課程で複数の異なる聞き方をして効果的なターゲティング方法を見つける研究である。故に、研究プロトコルが一般的な質問票調査よりも複雑であり、調査員もプロトコルを厳守することが求められる。今回のナイロビ滞在期間の多くは、実際のパイロット調査を通して調査員がプロトコルを遵守するようトレーニングしたうえで、調査ソフトウェアが正常に動作するかを確認した。紹介プロセスにより、より脆弱な若者が集められることが確認できたほか、元々は調査への参加に協力的ではなかった(本研究のターゲットに近いと思われる)個人が紹介プロセスを経ることで調査に参加するなど、本研究モジュールの有効性を確認できた。
なお、本研究は、「犯罪に巻き込まれるリスクの高い人々」を意図的に集めるという意味で、研究員の安全やプライバシーの保護といった研究倫理や安全上の問題点に十分な配慮が必要である。共同研究者が所属するエセックス大学の専門家と様々な協議をしたうえで、研究倫理上問題がないと研究倫理委員会より承認を得た(承認番号: ETH2324-0215)。
2024年度からは、他研究予算を活用しながら、規模を拡大し本調査を開始する。
参考文献
Santos, João Oliveira, Emerson Araújo Do Bú, Tomohiro Hara, Cristina Mendonça, Sara Hagá, Ruth Pogacar, & Michal Kouril. Implicit Association Tests for All: Using iatgen for non-english and offline samples. Working Paper, 2023.
2024年5月