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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2022年度

安心供与の国際政治学─国家はいかにして平和にコミットできるのか

北テキサス大学政治学部 博士課程
武井 槙人

研究の動機、意義、目的
 本研究はいかにして国家は平和にコミットできるのか(=安心供与)についての理論・実証研究である。安心供与とは、要求を呑めば、相手国を攻撃はしないというコミットメントのことを指す。安心供与の失敗は国際関係上さまざまな帰結をもたらす。例えば、安心供与は強制外交の成否と関わりがある。強制外交とは武力行使の威嚇をすることで相手国に望ましい行動をとらせることを意味する。ここで、強制外交の成功には二つの信憑性が必要になる(Cebul et al. 2021)。一つは威嚇の信憑性である。もし威嚇はこけ脅しだと相手国が認識しているのなら、自国にとって望ましい行動をさせることは難しい。そのため、これまでの先行研究ではいかにして威嚇の信憑性を高めるかについて研究を積み重ねてきた。だが、強制外交を成功させるには、要求を呑めば相手国を攻撃しないという安心供与も信憑性を持っていなければならない。威嚇に屈した後に結局侵攻されると考えているのであれば、要求を呑むことに利は無いと相手国は判断するだろう。このように安心供与は国際関係論上非常に重要な論点なのであるが、先行研究の関心は威嚇に偏っており、安心供与の理論・実証研究はけっして多くない。
 本研究は国際関係論において支配的な考え方を転換しうるという意味で重要である。これまでの研究は武力行使の威嚇および行使によって平和をもたらそうとする、いわば「力を使うことによる平和」の発想に基づくものが主流であった。これに対し、ここで提唱しようとしている安心供与の国際政治学は「力を使わないことによる平和」を目指そうというものである。もし各国が信憑性をもって他国に安心供与できるのであれば、武力にそれほど頼らずとも国際平和を達成することは可能なはずである。安心供与の国際政治学の発展には、平和憲法を有し、他国の紛争に極力介入しないことで、第二次大戦後の拡張主義的な国際的イメージを転換することができた、日本の経験が果たす役割も大きいはずである。

研究成果や研究で得られた知見
 本プロジェクトでは安心供与の信憑性を高めるメカニズムの一つとして、観衆費用(audience cost)に着目した。観衆費用とは、 国際的なコミットメントを破棄した際に国内・国際観衆が懲罰することによって発生する、指導者にとっての政治的コストのことを指す 。国内観衆費用の形態としては選挙での敗北、支持率の低下、クーデターや暗殺などがある。他方、国際観衆費用は、国家の評判の失墜、敵対国の攻撃的行動、同盟国の離反などの形態をとる。この観衆費用を高めることで、国家は国際的なコミットメントの信憑性を高められると考えられており、安心供与の研究で観衆費用が理論モデルに組み込まれているものもある(Kydd& Mcmanus 2017)。
 だが、平和のコミットメントを破棄した際に観衆費用が発生するかどうかについては、実証的根拠がよくわかっていない。まず国内観衆費用については、Levy ら(2015)がアメリカでサーベイ実験を行っており、米大統領が紛争には介入しないというコミットメントをしたにもかかわらず最終的に軍事介入をした場合、米国民からの大統領への支持が下がることを示している。このことは安心供与のコミットメントの破棄によって国内観衆費用が発生することを示唆している。だが、被助成者らが行った実験では、Levy et al.の結果は再現できず、国内観衆費用が安心供与の信頼に足るメカニズムかどうかは疑問が残る(Takei&Paolino 2023)。他方で、国際観衆費用と安心供与の関係を実証分析した研究は管見の限り存在しない。
 そこで、2024年5月に18歳以上のアメリカ人を対象にサーベイ実験を実施した(N=1515)。その結果、ある国の軍拡が過去のコミットメントからの逸脱であるという情報を得た場合には、その国の将来のコミットメントの信憑性が有意に下がることがわかった。このことは平和のコミットメントを破棄した際には国際観衆費用が発生することを意味し、国際観衆費用が安心供与を成功させる有力なメカニズムだということを示唆している。本研究は2024年4月にサンフランシスコで開催されたInternational Studies Associationの年次大会にて予備実験の結果を発表し、現在は本実験の結果をまとめた論文をジャーナルに投稿中である。また、公的なコミットメントが私的なそれと比べて信憑性が高く、そのメカニズムが観衆費用であることを実証した論文が国際関係論のトップ・ジャーナルであるInternational Studies Quarterlyから出版された。その他複数の論文が査読結果待ちである。

今後の課題、見通し
 本プロジェクトでは観衆費用と安心供与の関係に着目したが、安心供与の信憑性を高めるメカニズムは観衆費用だけではない。例えば、ある国が軍縮といった具体的な行動を実施し、他国から侵略されるリスクを高める場合には、その国が平和的であると他国に信頼してもらえるかもしれない。国際観衆費用を含め、今後とも安心供与の理論的・実証的根拠を積み重ねていきたいと考えている。

2024年5月
現職:モンテレイ工科大学政治学・国際関係論学部 助教