成果報告
2022年度
植民地体制下のサハラにおける領域支配の実践と社会変容─アルジェリア・サハラの事例から
- 京都大学大学院文学研究科 博士後期課程
- 天野 佑紀
研究の目的・意義
本研究の目的は、19世紀のアフリカ大陸における植民地分割とそれに基づく領域支配の展開が、大陸北部に位置するサハラ砂漠(以下、サハラ)の社会に及ぼした影響を明らかにすることである。前近代アラブおよびヨーロッパの著述家は、サハラを「不毛の地」とみなし、サハラより南方に住む人びとの世界を「黒人たちの国々」「黒アフリカ」と呼んだ。帝国主義時代の西欧列強は、かかる素朴な地理認識を植民地政策に適用し、サハラを北/南に分ける形で植民地分割を進めた。こうして形成された各植民地の版図は、独立後のアフリカ諸国に継承され、「北アフリカ」/「サブサハラ・アフリカ」という現代の二分法的なアフリカ認識の土台となっている。そうした思考枠組みに規定されてきた歴史学においては、点在するオアシスを介して多種多様なヒト・モノが交錯し、南北アフリカの境界領域として機能した「サハラ」の歴史が等閑視されてきた。
これに対して本研究は、「北アフリカ」/「サブサハラ・アフリカ」という地域区分の淵源が帝国主義時代の植民地分割にあることを反省的に認識するところから出発し、それを相対化した「サハラ世界」という仮説的な歴史空間を設定する。そのうえで、19世紀のアフリカに明確な境界線に基づく統治原理が及んだことのサハラ社会への影響について、フランス植民地支配下にあった現在のアルジェリア国家のなかのサハラ地帯(以下、アルジェリア・サハラ)の事例から検討する。最終的には、当該事例を広域的なサハラ世界の歴史として位置づけることで、従来の研究では十分に論じられてこなかった、サハラの人びとに固有の植民地経験を明らかにする点に本研究の最大の意義がある。
研究成果
サハラ中北部、現在のアルジェリア南東部に位置するオアシス群スーフの人びとによるキャラヴァン交易およびそこにみられる植民地支配の影響について、ミクロストーリアの方法を用いた事例研究に注力した。19世紀中葉のスーフ経済は、デーツ、タバコ、毛織物などの地産品が、一方では地中海方面の農耕地帯で収穫された食糧品と、他方ではダチョウ羽根、象牙、皮革など西アフリカ内陸からサハラを越えて運ばれてきた商品価値の高いサヘル産品と交換されるという、地域産業とキャラヴァン交易との複雑な連関のなかで成立していた。しかし、1887年にスーフが仏領アルジェリアの領域に組み込まれ、首邑エル・ウエドへの行政区設置に伴ってフランス人行政官による直接統治が開始されると、植民地行政はアルジェ商工会議所の意向に沿ってキャラヴァン交易に介入した。当該期のフランスは、とりわけダチョウ羽根の取引で競合関係にあったイギリスに対抗するべく、オスマン領トリポリの管轄下でサヘル産品の一大集散地であった交易都市ガダーミス(現リビア西部)から仏領アルジェリア方面に向かう交易路を構築するためにさまざまな工作活動を展開した。その一環で、旧来からガダーミスとの紐帯を有していたスーフを交易路上の要衝と位置づけ、商人への融資や輸出用フランス産綿織物の提供という形でスーフ発キャラヴァン交易を奨励した。これに対して、トリポリ方面に発着するキャラヴァンの減少を恐れたオスマン側の当局者が、1893年頃から「フランス臣民」ないし「アルジェリア人」であるとしてスーフ商人をガダーミス市場から恣意的に排除し、それに対してフランスが抗議するなど紛争が頻発した。かくして、ローカルかつ複雑な論理に立脚して成立していたスーフの社会経済が、19世紀末になり仏領アルジェリアの一部とされたことで「大国」間の関係や思惑によって左右され、ひいてはサハラ中部において領域支配が実態を有するに至ったのではないかという見通しが得られた。
以上の分析結果は、助成期間中に実施したフランス国立海外領文書館(在エクサンプロヴァンス)での史料調査から得られたものである。また、上述したスーフ-ガダーミス間交易をめぐって発生した紛争のうち数件が、最終的にはフランス-オスマン間の外交ルートで解決されるに至ったことが分かったため、一部計画を変更して外交文書館分館(在ナント)でも追加の史料調査を実施した。ここで得られた史料により、紛争が最終的にどのような形で決着したかを把握することができた。
今後の課題
優先的な課題としてはアルジェリアでの史料調査の実施が挙げられる。フランス国立海外領文書館のアーキビストと意見交換した結果、アルジェリア・サハラ関連の植民地行政文書の一部が、1962年のアルジェリア独立の際にフランスに引き揚げられず、現アルジェリア国立文書館に保管されていることが分かった。助成期間の終盤にアルジェリアでの調査滞在に必要なビザを取得することができたため、2024年4月から5月にかけてアルジェでの資料調査を行った。アルジェリア国立文書館にて上記文書の一部について予備調査を行ったほか、オンラインでは閲覧不可能な文書目録を精査した。また、中心街に所在する書店をめぐり、フランスでは入手不可能なアラビア語の関連文献を大量に購入した。
2024年5月
現職:フランス国立社会科学高等研究院 博士課程