成果報告
2022年度
排泄の自然誌を編む:ヒト・チンパンジー・ニホンザルの排泄行動の比較から始めるSDGs
- 信州大学理学部 助教
- 松本 卓也
研究の進捗および成果発表
2015年9月の国連総会で策定された国際社会全体の2030年に向けた持続可能な開発目標(SDGs)のうち、6番目に位置付けられるのが「安全な水とトイレを世界中に」である。2022年の時点で、充分な排泄物の処理施設を持たない人の割合は19%であり、いまだに4.1億もの人が野外排泄を行っているのが現状である。本研究課題では、ヒトおよび野生動物の排泄に関する研究と発展途上国へのトイレ普及に携わってきたメンバーが集い、理論から実践に至るまで幅広い専門的知見に基づき、「そもそもヒト(ホモ・サピエンス)にとって排泄とは何か」という原初的な問題意識を解決することを当初の目的とした。
図:公開セミナーのポスター
本研究課題が採択された2022年8月1日から2023年3月31日まで、研究メンバーはそれぞれ日本(地獄谷および上高地のニホンザル)・タンザニア(マハレ山塊国立公園のチンパンジー)・カメルーン(狩猟採集民バカ・ピグミー)等におけるフィールドワークに従事した。また、2023年2月14日には申請代表者が基礎生物学研究所の動物行動学研究会において、「排泄行動の自然誌を編む:野生チンパンジーの「排泄エチケット」の解析」と題した招待講演を行った。2023年4月16~18日には、研究メンバー全員が信州に集まり、まず人類学者・環境衛生工学者らと霊長類学者が地獄谷野猿公苑のニホンザルの排泄行動を一緒に観察しながら、各々のフィールドワークの成果を持ち寄って議論した。また、信州大学にて、「排泄の自然誌を編む:人類学・霊長類学・環境工学・国際保健学を跨いだクロストーク」と題した公開セミナー(信州大学理学部生物学コース共催)を主催した。
研究で得られた知見
本研究において申請代表者は、野生チンパンジーの排泄行動について世界で初めて詳細に記述・分析し、①高い木の上から排泄をしない、②食事中や毛づくろい(社会交渉)中に排泄をしない(ただし屁はする)、③4歳ごろから①②の傾向が表れる等、チンパンジー社会における「排泄にまつわるゆるやかな規則(≒エチケット)」の存在の可能性を明らかにした。従来、動物と人間の違いは排泄(トイレ)にあり、トイレットトレーニングの重要性が発達心理学の文脈で強調されるといった風潮があったが、本研究成果はヒトの排泄行動を進化生物学の観点から相対化することの意義を強く示唆するものである。
一方、野生ニホンザルの社会では、④食事をしながら排便をすること、⑤毛づくろいをしながら排尿する(さらに排泄物が他個体にかかる)こと等の現象が明らかとなり、種や社会によって異なる排泄の在り方が見えてきた。これらの知見は、「すべての生物が排泄をする」、延いては「すべての生物に排泄の(ゆるやかな)規則がある」という気付きに繋がった。 また、⑥上高地に生息するニホンザルの全群が生魚を捕らえて食べていることを世界で初めて行動学的に明らかにした。淡水性の魚を生きたまま捕食する行動は霊長類全体でも極めて珍しい現象であり、本研究は排泄物内の寄生虫研究という新たな学問的展開を拓いたと言える。調査の様子は2023年6月のNHK番組「ダーウィンが来た!」で放送された。
今後の課題
本研究課題では、当初、霊長類が集団社会生活を営むうえで必要な排泄行動の進化、衛生観念の進化の過程を探ることを試みた。しかし研究を進める過程で、排泄とは生物を定義づける要素の1つである「代謝」に深く関わる現象であり、「すべての生物が排泄をする」という気付きを得るに至った。今後の研究では、霊長類だけでなく動物全体にまで研究対象を拡張することによって、ヒトの排泄行動およびトイレ研究に進化の概念の導入を試み、 SDGs目標6の達成(あるいは脱構築)に向けた全く新しいストーリーを拓くことを目標とする。
なお、本研究課題は2023年度の継続課題として採択されており、最終的な研究アウトプットとして、動物の排泄に関する論考を集めた書籍を「排泄の自然誌」として編纂・出版し、学問領域としての『総合排泄学』の創出を目指す。
2023年8月