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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2022年度

三都における戦後占領と文化冷戦の心象地図の作成――記憶の地層を掘り起こし可視化する試み

立教大学文学部 特任教授
川崎 賢子

1、研究の進捗状況  GHQ占領期及び文化冷戦期における三都(大阪・京都・神戸)文化圏内の移動、外部から三都へ/三都から外部への移動もしくは越境について、三都を拠点とする地方誌・地方新聞メディアを掘り起こしながら、共同研究を行なった。心象地図、記憶としての戦争といったものをどのように可視化するかについて、試行錯誤が重ねられた。

2、研究成果・研究で得られた知見  20世紀メディア情報データベース、国会図書館デジタルコレクションなどのデータベース、アーカイブを横断的に用いて、大阪、京都(及び舞鶴)、神戸(及び宝塚)において発行されていた新聞雑誌メディアを概観した。
 細部の検証、精読にあたっては、メディア史研究の手法を用いた。大阪については『週刊朝日』に着目した。例えば大阪地区のデータについて『週刊朝日』に着目。京阪神関係の記事を拾う。占領期の大阪のさまざまな変化を、鋭く活写していた。それによれば、梅田駅に野宿する人々が二千人もいて毎日行き倒れの死者が出ていた終戦後焼け跡から、1949年頃には秩序が復活して来た様子、自由市場と呼ばれた闇市しかなかった状況から、安くて旨い食い物を求め、さまざまな新商売を目端を利かせて繰り出す大阪商人達によって、盛り場が復興してくる様が鮮やかである。これに較べて、殆ど戦災に遭わなかった京都との対比が際立っていたことがわかった。
 あわせて、関西を中心に活動を開始した文芸同人雑誌『VIKING』、及び在阪朝鮮詩人集団による同人誌『ヂンダレ』における三都の表象をExcelに引用し、数量的な観点から占領期、及び文化冷戦期の三都の語られ方の特徴を考察した。『VIKING』における三都の表象に共通するのは、占領軍関連施設や接収住宅、ジープなどが物語内に描かれ、占領下という時代状況を物語の前提として提示したうえで、戦中・戦後の変化を登場人物の内言によって直接的に打ち出す点である。一方、朝鮮戦争を背景に発刊された『ヂンダレ』では、在日朝鮮人にとっての大阪を、「この地を起源に集まつては散つていつたゆかりの地」(金時鐘「正しい理解のために」6号、1954・2)と位置づけ、大阪各地における在日朝鮮人の在り様がルポルタージュによって伝えられている。
 京都については唯一の朝刊紙『京都新聞』を活用する研究は多いものの、新興紙として創刊された複数の夕刊紙『夕刊京都』『京都日日』『京都日出』などに目配りをした研究は少ないことがわかった。特に夕刊紙は1950年代にやがて淘汰される運命であったため、市井の人びとの生の声を救い上げた競争も激しく興味深い記事も少なくない。これらを活用していけばより多層的、立体的に京都の記憶と空間が再構成できることがわかってきた。舞鶴に関しては、当時の流行歌、映画、ラジオ放送などから、シベリアからの引揚に思いを馳せる人びとの集合心性に訴求する内容のものが多くみられた。
 神戸は行政文書の残存と整備に遅れをとっているが、大阪との間で、闇市ないし自由市場の形成と移動、再編などの人流が辿られた。芸能・スポーツなど大衆文化に関しては、三都内での移動に加えて、国内各地への(からの)移動、GHQ慰問など海外からの移動が活発であった。宝塚歌劇団の大阪北野劇場をはじめとする占領軍施設への出張公演は、朝鮮戦争勃発後は病院慰問などへと拡大された。米国からの占領軍慰問の芸能人との交流も盛んであった。

3、今後の課題  占領期・文化冷戦期における三都を、東アジアにおける接触領域(コンタクトゾーン)として、再検証するという新たな課題が見出された。その記憶、心象地理のデジタルな可視化については、GISのような大規模な、粗いグリッドのものよりも、Googleマップ程度の規模のものの方が向いているかもしれない。この件については、共同研究メンバーの今後の研鑽が必要である。三都から発信した活字メディアの資料は極めて豊富であり、そこに潜伏する地理的な記憶の語られ方については、今後も読解分析を進めたい。

2023年8月