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研究助成

成果報告

研究助成「学問の未来を拓く」

2022年度

「コモンズ」としてのクラフトビール――中世グルートビール再現醸造を通じた「発酵社会学」構築の試み

静岡大学人文社会科学部 教授
大原 志麻

1 研究の進捗状況  本研究の目標は以下であった。つまり、文理融合研究により、発酵を利活用する人間社会のありようを、その多様性を念頭に置いて明らかにする「発酵社会学」の構築、およびその一環として中世グルートビール再現醸造・製品化を静岡県で行うことである。中世でグルートとして使用されていたヤチヤナギは、日本では3県で近時絶滅危惧種あるいは準絶滅危惧種に指定されたことがあるが、その栽培・安定生産へ向けた取り組みは、静岡大学や協力企業で進められており、順調である。ヤチヤナギ栽培により、静岡市内また静岡県下の茶の休耕地を利用する試みについても準備が進んでいる。またグルートビール製造は、富士宮市のFujiyama Hunter’s Beerで、2022年4月に続き2023年3月にも行われ、インターネット通販で販売直後に完売となっており、注目度が高い。
 他方で、助成申請時からの状況変化として、第一に、研究開始直後からの「家康公CRAFT」プロジェクト参加がある。同プロジェクトは、大河ドラマ『どうする家康』放送を機縁にした静岡市観光振興の切り札として、徳川家康ゆかりの静岡市内歴史拠点に生育する植物から野生酵母を採取し、これを使用したクラフトビール、「家康公CRAFT」を産官学連携で製造・販売するものである。グルートビールではないものの、「家康公CRAFT」プロジェクトも「発酵社会学」構築のための橋頭堡として位置づけうるものである。「家康公CRAFT」は2023年5月末に第1弾が発売され、直後に完売した。現在、第2弾製造・販売に向けた準備が行われている。第二に、研究代表者が静岡県ガストロノミーツーリズム有識者会議メンバーとなり、ガストロノミーツーリズムの観点からも、クラフトビール製造・販売の再評価が行われてきている。このように、本研究の関わる「戦線」はより広範なものとなってきている。

2 研究成果・研究で得られた知見  本研究では、如上の「戦線拡大」にも鑑み、発酵に関係するさまざまな知見や経験を結集し利活用に供することを目指し、研究期間中に6回の公開シンポジウム、1回の非公開の研究会を開催したほか、マスコミでの情報発信を頻繁に行った。研究成果として公刊した・公刊が決定している著書・論文は4本と多くはないが、その主要因は、シンポジウムや自治体との共同研究実施などを通じて、発酵飲料・食品をめぐる地域の協働体制を構築することに注力したためである。
 研究で得られた知見を簡単に示せば以下のとおりである。
(1) 中世グルートビール再現製造の成功とその要因 中世における地域でのビール製造・販売・消費を現代において再現する試みは、大きな関心を呼んだ。折からのクラフトビールブームは、とりわけ静岡県では顕著であり(静岡県は「クラフトビア王国」とも呼ばれる)、グルートビールという、いわば「ビールの祖型」をよみがえらせる商品開発を面白がる土壌がすでにできあがっていたともいえよう。一方で、同時並行的に関わることになった「家康公CRAFT」プロジェクトが、この試みへの関心惹起に寄与した部分も小さくなく、大河ドラマのコンテンツツーリズムや官民連携による大河ドラマ活用推進協議会の組織的な観光誘致が、地域社会に対してもつ社会的・経済的影響力をあわせて勘案する必要があろう。
(2) 「地域コモンズ」としてのクラフトビール クラフトビールは、以下の点などにおいて、地域とのつながりを比較的強く有する傾向がある。① 全国地ビール醸造者協議会の定義によれば、クラフトビールのブルワリーは、(ⅰ)1994年酒税法改正を契機にして、(ⅱ)小規模(1回20キロリットル以下)で、(ⅲ)製造方法について伝統的であるか、地域の特産品を材料にした個性的なものであり、地域に根付いている。② 小規模製造であるなか、販路、とくに樽生のそれについて、ブルワリー併設のビアバーあるいは伝手のある店舗での提供となることが多く、生産と消費が特定の地域と結びついたものとなる傾向が相対的に高いと思われる。③ クラフトビールが少量多品種の製造となるなかで、地元とつながった特徴ある材料や製法の採用、地域と結びついたストーリー性などにより、差異化や付加価値付与を図る傾向がある。
 地域とのつながりを有するクラフトビールのブルワリーやビアバー自体が、地域内外から人が集いにぎわいを生み出す核となり、まちづくりにおいては地域コモンズとしての性格を有するものと考えられる。また地域課題の解決に関心を持つブルワリーも少なくなく、ブルワリーによる地域コモンズ形成への寄与にも注目すべきである。
 本研究においては、県下のブルワリーによるヤチヤナギを使用したクラフトビール製造・販売を進めるとともに、絶滅危惧種の維持や休耕地活用といったコモンズ対策に取り組んでいるところである。また家康公CRAFTプロジェクトにおいても、野生酵母を利用したクラフトビールづくりは、地域の歴史拠点の保存・活用の一方策である。現時点でその取り組みが成功していることからすれば、クラフトビール・ブルワリー自体、またクラフトビールづくりを通じた地域コモンズ形成には、相応の見込みがあるということになろう。

3 今後の課題  本研究は、静岡県下のブルワリーにおいて中世グルートビール再現製造・販売が行われ、静岡県下でのヤチヤナギ栽培が開始されてから3ヶ月の段階で始まったものである。家康公CRAFTプロジェクトについても、第2弾の製造・販売はこれからである。したがって、地域コモンズとして、また地域コモンズのためにクラフトビールを位置づけ発展させていく試みの成否が明らかになるのは、数年後であり、その間持続的な取り組みを続けていくことが最大の課題である。

2023年8月