成果報告
2022年度
日本の大衆文化におけるヨーロッパ中世主義の受容と展開
- 東京都立大学人文社会学部 准教授
- 大貫 俊夫
本研究は、戦後日本の大衆文化におけるヨーロッパ中世主義の受容と展開がどのような特徴を有するのか、中世ヨーロッパを専門とする歴史研究者が共同で明らかにするものである。そもそも「中世主義 medievalism」という概念は、中世ヨーロッパに範を求める近代の運動を指すこともあれば、「中世は暗黒時代である」といったネガティヴな言説を指すこともあり、あるいはたんに小説・漫画・映画・ゲームで中世を題材にとることも含まれることから、きわめて多義的な文化現象である。しかしそれでも、文化圏ごとに中世主義の発現の仕方には一定の傾向が認められ、ヨーロッパ、アメリカ、日本とで大きく異なることがわかってきた。
こうしたことを受け、日本版中世主義の特徴とその発現の仕方の傾向を明らかにするべく、研究メンバー4人はそれぞれの研究テーマに取組んだ。その研究内容は以下のとおりである。
大貫は、1970年代から80年代にかけて発表された文学作品やゲーム作品が、歴史学研究の動向とどのように関連していたのかを考察した。堀田善衛の『路上の人』(1985年)を中心にすえ、その内容にとどまらず、堀田の蔵書をも検討対象とし、いかなるテーマの文献をいつ頃収集していたのか分析した。現段階での結論として、日本版中世主義は阿部謹也の社会史研究の影響を受けており、欧米で形成された中世暗黒史観の変奏として特徴づけることができるのではないだろうか。そうした特徴は今日まで脈々と受け継がれており、日本版中世主義を色濃く反映した大衆文化は、およそ50年かけて今日定着したと言えるだろう。
小宮は、アーサー王伝説に関連する武具の名前が、日本において強い関心を集めている現象を分析した。エクスカリバーは世界的に有名であるが、日本ではアロンダイトやコールブランドといった比較的マイナーな剣の名前までもが、ポップカルチャー作品を通じて普及している。このように伝説が断片化され、一部の情報のみが広まっている背景には、キャラクター設定やアイテム名を重視するテーブルトーク・ロールプレイングゲーム(TRPG)が大きな役割を占めている点を指摘した。
松本は中世北欧文化が日本でどのように受容されてきたかについて調査した。文献調査やインタビューの結果、1980年代にSF小説やRPGの流入を通してファンタジーという世界観が生まれ、その後コンピュータゲームの定番へとつながる流れがあり、北欧文化も世界観の一部として受容されたことが確認できた。それ以前はワーグナー作品などのドイツ文化を経由して北欧に触れることが多かったと考えられる。今後は1970年代以前の北欧受容の追跡に加え、日本のフィクション作品における宗教性の希薄さについても考察を進める。
白幡は、日本における中世イメージの受容と確立に、70年代に米国で生まれたTRPGが教育的役割を果たしたことを明らかにした。また、TRPGが米国で誕生したのは中世風異世界を舞台とするファンタジー小説の影響が強いが、それはコンピュータの発達やSFの流行といった、当時のNerd(おたく)文化の一要素にすぎず、日本のように「中世風ファンタジー」がサブカルチャーの核を形成したわけではなかった点を指摘した。
以上の研究から、日本における1970年代から80年代にかけての中世主義の展開は、その後に及ぼす影響という点できわめて力強く、かつ創造的だったと評価できるだろう。この点をより深く調査していくことが2023年度の課題である。
日本において、なぜこれまで本研究のようなアプローチがなされてこなかったのだろうか。それは、中世ヨーロッパについて研究・発信している中世研究者と、娯楽作品の創作者・消費者とのあいだにコミュニケーション不全があったためだと考えられる。そこで本研究では、上記の研究を推進することを目的として、1980年代から中世ファンタジーを題材としたTRPGの日本への紹介、書籍の執筆・翻訳に従事してきた健部伸明と岡和田晃両氏にインタビューを行い、活動の時代的背景や人的ネットワーク、隆盛・衰退の経緯について情報収集を行った(2023年3月)。またこれによる関係構築が功を奏し、訳者である岡和田氏とともにモダン・ナラティヴRPG『モンセギュール1244』(2023年発売)をプレイし、中世におけるマイノリティ(中世カタリ派)とマジョリティ(十字軍)のせめぎ合いとそこで発露する感情を疑似体験することができた(2023年5月)。こうした活動を通じて中世研究と日本版中世主義の交流をさらに促進するため、両氏を研究メンバーに加えたうえで、2023年度も引き続き本研究に取り組んでいく予定である。
本研究の最終的な目標は、大貫、小宮、松本、白幡、健部、岡和田による書籍の出版である。そのコンセプトと章立てについては議論が終わり、出版社との交渉も進んでいる。
2023年8月