成果報告
2022年度
「農民芸術」の現代的解釈に基づく創造的な学びのコミュニティが地域にもたらす影響に関する比較研究
- 群馬大学共同教育学部 准教授
- 市川 寛也
●研究の進捗状況
本研究は、岩手県胆沢郡金ケ崎町で取り組んでいる「金ケ崎芸術大学校」を出発点に構想されたものである。ここでは、2018年の立ち上げ以来、人々の生活そのものを芸術として捉える「農民芸術」の理念を掲げてきた。同様の思想は、1910年代から20年代にかけて「農民文芸」や「農民美術」など多くの論考や言説が見られるが、本実践では宮沢賢治による「農民芸術概論綱要」(1926年)を主たるテキストとして用いる。
このテキストは、これまでも異なる分野の論者によって多様に解釈されてきたが、今回は芸術学の観点から「職業芸術家は一度滅びねばならぬ」という主張に着目する。果たして、ここでの「職業芸術家」とは誰を指しているのだろうか。各地で芸術祭やアートプロジェクトが開催される現代において、この問いの持つ意味は大きい。実際のテキストでは、これに続いて「誰人もみな芸術家たる感受をなせ」と記される。これを文面通りに捉えると、「農民芸術」における「農民」とは、必ずしも狭義の「農民(農業従事者)」のみを指しているわけではなく、より広い対象を念頭に置いたものと考えることができる。これを現代的視点から解釈し、任意の地域において実践することによって、「農民芸術論」に根差した「地域芸術論」を構築することが主眼となる。
実践研究を進めるにあたり、フィールドとなる金ケ崎町の抱える地域課題も明らかにされてきた。実施地域には、江戸時代に仙台藩の要害が築かれ、現在もその町割が残されることから重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。こうした歴史的背景のもと、閉鎖的なコミュニティ(一種のミクロコスモス)が形成され、それが時に排他的な言動として噴出する場面もある。これは、言うまでもなく先に挙げた「農民芸術」の理念とは真っ向から対立する。ここで改めて、宮沢賢治が岩手(イーハトーヴ)の地において「農民芸術」の思想を育んだことに思いを巡らせておきたい。もしかすると、閉塞的ともいえる地域の状況に鑑みて、広義の「芸術」に理想郷を生み出す道筋を見出したとも考えられないだろうか。
ここで視点を現代に向けて、こうした現状に直面した時、芸術はどのように地域に関与することができるのだろうか。そのための方法として、芸術を媒介とする「コミュニティ」にスポットを当て、創造的な地域のあり方についてアクションリサーチを継続してきた。実践の拠点となる「金ケ崎芸術大学校」では、様々なワークショップ(開校日)やシンポジウムの開催を通して、現実の地域社会に対するアプローチを続けてきた。特に、2022年8月に開催した「小学生ウィーク」や2023年1月に開催した「金ヶ崎要害鬼祭」では、地元の子どもたちと大人が入り混じりながら、新しいコミュニティとよぶべき場が仮設的に創出された。
また、この仕組みを他の地域に実装させることによる比較研究として、群馬県中之条町におけるワークショップも開催した。この地域では、2007年より「中之条ビエンナーレ」が開催されており、芸術によるまちづくりに取り組んできた先進地域でもある。この地域において、群馬大学の学生を中心に「中之条芸術大学」と称するプロジェクトに取り組んだ。
●成果および研究で得られた知見
本研究を通したより直接的な成果として、金ケ崎町と中之条町の「芸術」に対する反応の違いが明らかにされたことが挙げられる。そもそも、両町は人口規模が15,000人程度であり、中核的な地方都市との距離感も含め、地域の置かれた状況は類似している。また、いずれもいわゆる公立の美術館は立地していない。ただし、文化芸術活動に関して言えば「中之条ビエンナーレ」の活動の蓄積という点において大きな違いが見られる。
実際、今回「中之条芸術大学」のプロジェクトを実施するにあたっては、主たる会場となった中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」に加え、中之条町役場の積極的な協力を得ることができた。これは、「金ケ崎芸術大学校」に対する金ケ崎町役場の消極的な関わり方とは対照的である。ここには、「中之条ビエンナーレ」の活動を通して多様な価値観と日常的に触れ合うことに由来する(とりわけ行政における)外部への開かれの有意な違いを見出すことができるだろう。
もちろん、中之条における調査は参与観察の域を脱していないため、住民目線で見た時に「芸術」に嫌悪感を示すような事例が見られないとも限らない。おそらく反対の声もあると考える方が自然である。むしろ、「中之条ビエンナーレ」が比較的規模の大きい公共事業となったことによって、こうした小さな声が聞こえにくくなっている可能性も捨てきれない。今後も継続的な調査を進めることによって、芸術が地域にあることの意味について考察を進めていきたい。
●今後の課題
一方で、金ケ崎町でも、新型コロナウイルスに伴う社会的な混乱が収束するのに伴い、これまで以上に地域とつながる機会が増えてきた。この背景には、2020年以降に感染予防の名目を隠れ蓑に町外から訪れる人々(よそもの)に対する排他的な言動を示してきた一部の人々が声を上げにくくなったことも要因の一つとして考えられる。ただ、それ以上にこれまでの実践を通して住民と直接的に対話をする場を設けてきたことも大きい。
既に述べてきた通り、この地域には非常に強固なコミュニティが構築されてきたわけだが、そこに様々な視点や考え方を持つ人々が関わり続けることによって、少しずつではあるが「もうひとつのコミュニティ」が構築されつつある。その構成員は、完全なる地元民というよりも、近隣市町村からの参加者の割合が高い。言わば、地縁に基づく共同体ではなく、動機縁に基づくゆるやかなつながりと位置づけられる。これからも、こうした新たなコミュニティが継続的にアクションを起こすことによる地域の質的な変化について、実践研究を続けていく。
2023年8月