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研究助成

成果報告

外国人若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(サントリーフェローシップ)

2022年度

日本古典文学における中国夢遊物語のアダプテーション

総合研究大学院大学文化科学研究科 博士後期課程
虞 雪健

【研究の動機と目的】
 本研究の目的は、中国の代表的な夢遊物語である『枕中記』『南柯太守伝』『桜桃青衣』が、日本においてどのようにアダプテーションされたかを明らかにすることにある。夢遊物語とは、一つの夢が物語全体の骨格を構築し、主人公が夢の中の世界を自由に遊び回る物語を指す。中国ではこうした夢遊物語が高い評価を得て、後世の文学に大きな影響を与えてきた。これらの作品は、日本において『太平記』の引用故事、能楽、浄瑠璃、歌舞伎、仮名草子、浮世草子、草双紙、浮世絵など多様な形でアダプテーションされている。中国の夢遊物語が日本への伝播の過程で、どのような変貌を遂げ、日本独自の文化的文脈の中でどのように再解釈され、再構築されてきたのかを探究することで、日本文化の独自性と創造性を浮き彫りにできると考える。

【研究の意義】
 本研究の意義は、日本古典文学における中国古典文学の受容が単なる模倣ではなく、創造的な営みであったことを具体的に示す点にある。従来の比較文学研究では、しばしば影響関係の一方向性が強調され、受容する側の能動性が軽視されがちであった。アダプテーション理論を用いることで、原作との忠実度ではなく、各作品がいかに独自の表現を生み出してきたかに光を当てることができる。また、特定の時代や分野に限定せず、分野横断的かつ通時的に考察することで、アダプテーション作品間の連続性と相互影響関係が浮かび上がってくる。

【研究成果や研究で得られた知見】
 本研究では、日本古典文学における中国夢遊物語のアダプテーションを、『太平記』、能楽、仮名草子、浮世草子、草双紙など、多岐にわたる作品を通して論じた。
 第一に、宋代の類書や詩注に見られる『枕中記』のダイジェスト版では、原話にあった登場人物の心情描写などが大幅に削除され、夢の中の栄華のみが印象的に語られる。このことが、日本における「理想化された夢」としての「邯鄲」イメージの定着に影響を与えた可能性を指摘した。
 第二に、『太平記』の「黄粱夢事」が、ダイジェスト版『枕中記』を下敷きにしつつ、儒生から帝王への夢の主体の転換を図ることで、君主への警告として機能していることを実証的に論じた。『太平記』の作者は、中国の故事を借用しつつ、その主題を大きく変容させている。このことから、日本における夢遊物語の受容が、単なる模倣ではなく、主体的な再解釈の過程であったことが窺える。
 第三に、能「邯鄲」が複数の中国故事を織り交ぜながら、独自の劇世界を作り上げていることを指摘した。「邯鄲」が原作とは異なる要素を取り入れつつ、中国文化への重層的な受容を基に再構築されていることを明らかにした。また、後世の歌舞伎や浄瑠璃への影響、女性の盧生像の誕生なども指摘し、「邯鄲」を起点とする文化の連環を浮き彫りにした。
 第四に、仮名草子と浮世草子における夢遊物語のアダプテーションを、出版と流通の視点から考察した。「南柯の夢」が怪異譚として再解釈されたり、『荘子』に触発された新たな夢物語が創作されたりするなど、中国の夢遊物語のモチーフが江戸文化の中で独自の広がりを見せる様子を明らかにした。
 第五に、草双紙に見られる夢遊物語を網羅的に取り上げ、先行研究では等閑視されてきた作品群の重要性を説得的に論じた。とりわけ黄表紙における夢遊物語の展開を論じた。中国の夢遊物語の設定を借用しつつ、当世風の洒落や風刺を織り交ぜた黄表紙の諸作品を分析することで、江戸文化における夢遊譚の広がりと奥行きを立体的に描き出した。

【今後の課題と展望】
 本研究は、日本における中国夢遊物語のアダプテーションを包括的に論じた点に意義があるが、なお残された課題も少なくない。たとえば『太平記』諸本の詳細な検討、能の上演や技法への言及、絵画資料の本格的分析、個々の作品のさらなる精読と新資料の発掘などが挙げられる。特に絵画資料については、夢を主題とした作品を文学作品と関連づけながら分析することで、夢遊物語の視覚化の問題により深く切り込むことができるだろう。
 本研究をきっかけとして、アダプテーション研究や比較文学研究への関心が広がり、多くの研究者との対話が生まれることを期待している。文化の違いを超えて、人々の創造性が紡ぎだす物語の力を信じつつ、これからも研究を続けていきたい。

 

2024年5月

※現職:国際日本文化研究センター 博士研究員