成果報告
2022年度
『失業消滅』の虚構をめぐる中国政治――国家・地方・企業・基層社会の相互作用の実態分析
- 慶應義塾大学大学院法学研究科 後期博士課程
- 許 楽
【研究の動機・意義・目的】
中華人民共和国の計画経済体制において、「失業の無い社会主義社会」はどのように実現され、維持されたのだろうか。本研究は、社会主義国家中国を対象に、計画体制下の失業対応策をめぐる政治過程を、地方の視点から歴史的に考察するものである。
国家、社会、個人のいずれにとっても大きなリスクである失業問題に対し、資本主義諸国はマクロ経済政策や社会保障の充実により失業に伴うリスクを緩和しようとした。それに対し、社会主義諸国は、計画経済の下で完全雇用を実現し、失業を根絶することが目指された。中華人民共和国も建国以降、社会主義路線へと舵を切り、1958年の大躍進運動を背景に、「失業の消滅」を高らかに宣言した。そして、1980年代に入り市場経済化へと再度の路線転換を図る中で、失業問題が再び「発見」され、市場経済に基づく失業保険制度が創出された。しかし、この間、失業が消滅したはずの中国社会には、実態として大量の余剰労働力が存在した。本研究で明らかにするのは、30年以上にもわたり「失業の消滅」を成り立たせてきた中国の地方及び基層社会の営みの構図である。この重層的権力構造と国家−社会関係の柔軟性、一貫性を浮き彫りにすることにより、本研究は中国における社会主義体制の内実を明らかにするとともに、失業問題という現代社会共通のリスクへの対応を論じる福祉国家論に、政治体制の差異を超えた比較研究の視点を提示する。
【研究成果や得られた知見】
計画経済体制下の「失業消滅」の実態を把握するために、本研究は中央政府レベルから、上海市、遼寧省、広東省を中心とした地方レベルまで、計画経済体制下の労働行政をめぐる公文書、政策史料、企業史料を幅広く収集してきた。これらの資料を運用し、2022年度において、失業消滅が宣言されてからわずか二年後の1960年に実施された、都市部の大規模の労働力削減を意味する「精簡政策」に着目して、上海市を事例に、「失業の消滅」とそれを維持させた政治的メカニズムを明らかにした。そこから得られた知見は、以下の点にまとめられる。
第一に、「失業消滅」に向かうプロセスにおいて、重工業優先の発展戦略と未熟な計画労働体制との矛盾の下で、都市部では、一方では労働力の確保と拡大、そして他方では労働力と人口の削減、という2つの相反する要求が併存した。1958年からの大躍進運動による生産建設運動を経て、国営企業による労働力吸収の波がピークに達したことにより「失業消滅」は一時的に実現したが、これは都市に過重な負担をもたらしたため、中央政府は都市部の過剰労働力を整理する必要に迫られ、精簡政策へと急転回した。
第二に、揺れ動く中央の労働政策と、「失業消滅」宣言による失業対応の責任の曖昧化は、地方レベルに、政府、企業、基層社会組織、労働者からなるリスク管理のネットワーク、計画体制外に労働力の流動空間を生み出した。このように、各アクターの相互作用により出現した労働力の流動空間は、生産建設運動のための大量の労働資源の動員を可能にすると同時に、精簡政策の実施においては労働者の不安を緩和し、人員削減の履行を円滑化した。地方レベルの各アクターの利益関係によって構築されたこの空間は、未熟かつ一貫性に欠ける計画的労働体制を補完する役割を果たしたと言える。
第三に、「失業消滅」は計画的労働体制における矛盾を解決できなかったが、「失業消滅」に象徴されるイデオロギーは、各アクターの行動を規定し、計画経済体制の実態を形作る重要な前提となった。「失業消滅」は国家が労働体制に関与する方法を限定し、労働者の生活保障に対する国家の責任を曖昧にする一方で、地方レベル、個人レベルに多くの責任がのしかかる状況をもたらした。
【今後の課題】
計画経済期の中国において、基層レベルの労働力流動空間が緩衝材的な機能を果たしたことで、「失業消滅」の現実は維持された。このことは、より長期的な視点から社会主義中国における失業対策のあり方を分析する際に重要な視座を提供している。
これらの視点を踏まえ、今後はより研究対象時期を広げ、幅広く史料の収集・利用を通じて、計画経済期から市場経済期への転換においてこの計画外の労働力流動空間がどのような役割を果たしたのかについて解明し、失業消滅の「遺産」とその実態を浮き彫りにする。
2024年5月