成果報告
2022年度
平等主義的暴力の存在論:中央アフリカの(元)狩猟採集民トゥワのマルチモーダル人類学
- 立命館大学大学院先端総合学術研究科 一貫制博士課程
- ふくだ ぺろ
研究の動機、意義、目的
虐待、いじめ、テロ、弾圧、戦争―現代において暴力はとうてい容認できない悪である。その一方で、太古より現在に至るまで、人類は暴力に魅了されてきた。この暴力を巡る矛盾を私たちはどう理解したらいいのだろうか。実際、ピンカー『暴力の人類史』がベストセラーになるなど近年暴力論は再燃しているが、その多くは暴力を「野蛮」と見なして、啓蒙主義的な「理性」より劣ったものとする近代国家的な視点から抜け切れていない。他方、酒井隆史『国家をもたぬよう社会は努めてきた』など国家的枠組みの外から思考する良論も存在するが、暴力の政治的機能に議論が終始している点に課題がある。
本研究ではこうした課題を解決するために、国家とは異なる論理で駆動する(元)狩猟採集民社会を対象に、暴力とはまずもって人間の営みであるという前提に拘る。そのため、人々の対面行為を社会そのものと見做す相互行為論的な立場をとり、具体的な暴力の場における情動や身体に注目する。そして、情動や身体といった暴力の非言語的側面を記述するのにはテクストでは限界があるため、映像を活用する。本研究は、テクストだけでなく映像やサウンド等を学術的思考として取り入れ、知の更新を目指すマルチモーダル人類学を実践することで、既存の政治学的な暴力論の限界を超えて、暴力の存在論に迫ろうとする。
研究成果や研究で得られた知見
本研究の調査対象はルワンダ共和国の北部、ビルンガ火山群の麓に居住するトゥワ(いわゆるピグミー系集団の一つ)である。彼らは2000年以来、政府の環境保護・観光政策によって森を退去させられ、狩猟採集を禁止され、村落に定住している。しかし、例えば自分で畑を耕すよりも、畑をリースして即金を獲得するのを好み、農耕化しているとは言えない。特異なのは「闘争」である。従来、狩猟採集社会は平等で平和とされてきたが、トゥワのコミュニティ内では毎日喧嘩が起こり、10 日に1 度は流血沙汰にも至る。激しい暴力が横行しているとも言えるが、興味ぶかいのは、そうした暴力が階層化や復讐の連鎖をもたらさず、ある種の平等性が保たれていることである。
例えば、年齢と性を基準にトゥワの闘争事例を分類すると、グループ間の偏りがほぼない。つまり男性が女性を、年長者が年少者を、といった特定のクラスターによる一方的な暴力の行使が見られない。その中で最も戦闘的なのは成年女性だった。さらに暴力の現場を見れば、バカ・ピグミーがみな一斉にしゃべりだし、一斉に沈黙する収縮的な共在感覚を持つように、トゥワの闘争も感染力が強く、その熱がコミュニティに拡散する。しかし、全員が一斉に闘争に身を投じたり、派閥に分かれて闘争がエスカレートすることはない。一人のトゥワの「怒り」の実践である闘争は、他のトゥワの闘争を呼び込むこともあれば、おしゃべりや無関心、場合によっては「幸せ」の実践である音楽を呼び込む。こうした様々な感情=身体群が入り乱れ、交渉し合い、転移し、変遷していくうちに夜が更け、朝にもなればまた新しい一日が始まる。ピグミーの音楽はポリフォニーやポリリズムで知られているが、異なったモードの身体群が入り乱れ、あらゆる感情が表現されていく現象を私は「ポリエモーション=ボディ」と名付けた。そして、広範に感情=身体が表出されて、自他の区別が融解していく実践にこそ、トゥワの平等感覚の中核が形成されると考えた。
こうしたグループ内の闘争は1920年代のトゥワについて記述した民族誌にも記述されており、「闘争はトゥワの文化だ」という老人の証言を裏付ける。さらに興味深いのは、昔のトゥワの他民族との関係である。トゥワは元来、小規模な集団で森の中を遊動しながら狩猟採集をしていた。他民族がこの地にやってきて、儀礼や食料交換などを通じて共生関係が築き上げられた。しかし、19世紀以降は、農耕民による森林伐採が激しくなり、トゥワは生き場所を失っていく。先行研究では、狩猟採集民は平和を好み、他民族からの圧迫が強くなれば森の奥へと逃走するのが定石とされている。しかし、トゥワは自分たちの森を守るために戦い、農耕民の畑や家を襲撃し、略奪した。中には勢力を広げて、ルワンダ王朝やドイツ軍を撃退した事例もある。そうした闘争を可能にした要因のひとつに大湖地域の政治状況がある。当時はトゥチ系のニギニャ(ルワンダ)王朝がブゴイやブシルなどのフトゥ系の王朝を支配下に置こうとしていた過程だった。トゥワはこうした複数の政治勢力が対立する状況を利用することで、第三勢力として闘争によって自律を保ったと言える。
今後の課題・見通し
狩猟採集から農耕へと生業が変化しても、狩猟採集的な思考様式が継続されることはこれまでも指摘されていたが、それがどう維持されるかについてはほとんど議論されてこなかった。本研究では、狩猟採集的なあり方の基底に感情様式を想定し、暴力はその実践であると論じる予定である。さらにはトゥワの歌と踊りについて詳しく分析することで、「トゥワに宗教はない。トゥワの宗教は歌と踊りだ」と言われる、ミュージッキングの世界形成力を明らかにしたい。また物理的な闘争は多く、罵倒からはじまる。トゥワには罵倒の技術とも言うべき、様々な悪口が存在する。罵倒の過程を詳細に分析することで、身体的な暴力だけでなく、言語的な暴力についても明らかにしたい。これまでの研究に以上の課題を加えて、博士論文と博士映像として今年度に提出する。
2024年5月