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研究助成

成果報告

若手研究者による社会と文化に関する個人研究助成(鳥井フェローシップ)

2022年度

経験としての写真論―触れない暴力あるいは非人間化の装置

東京工業大学大学院環境・社会理工学院 博士後期課程
村上 由鶴

 本研究は、「暴力として機能する写真」を対象として、写真を経験する感性を研究するものである。これまでの写真研究では「何が写っているのか」、「どのように写っているのか」といった表象に関する分析や作家作品研究が主流であった。しかし現在、一般に、写真は鑑賞されるだけでなく誰もが撮影者にも被写体にもなり、流通や編集までをも行うものである。従って、本研究では、写真をあるひとつの側面からとらえるのではなく経験の総体と位置づけたうえで、「暴力として機能する写真」を対象として、写真を経験する感性を対象としている。
 近年、外食チェーン店や小売店などで客やアルバイトが自身の不適切行為を撮影してSNSに投稿する迷惑行為が相次ぎ社会問題化している。また、性的な画像等を、撮影された者の同意なく公開するリベンジポルノについては、2014年に「私事性的画像記録の提供等による被害の防止に関する法律(通称リベンジポルノ防止法)」が成立している。
 これらの犯罪や迷惑行為を、個人のモラルの低下による現代特有の問題と考えることもできるが、例えば、1900年代初頭のアメリカ南部では集団暴行で殺害された黒人の遺体の写真が土産物として販売されていた。この事例は、写真が、個人の尊厳を奪うだけでなく、「我々(=白人)」と「彼ら(=黒人)」を線引きする他者化(othering)の装置として用いられてきたことを示している。このように写真には、過去から連綿と続く構造的な暴力を誘発する性質があると考えることもできる。このように、写真が暴力として機能する背景には、視覚文化が性差別や人種差別、障害者差別などの構造的暴力に加担してきた歴史がある。
 そこで、本研究では、写真を経験として扱い、そこに生じる「触れない暴力」に焦点を当てている。その暴力が生じる原因として、写真そのものが人の理性的判断に影響を与え、人を「非人間的」にしていると仮定しこれを検証するものである。そして、写真の経験には写真を含む視覚文化の歴史が関わっている。従って、本研究は歴史研究、事例研究、理論構築の3つの手法で進めた。
 まず、歴史研究として行った性差別と視覚文化の関係についての調査・研究は単著『アートとフェミニズムは誰のもの?』(2023年8月刊行・光文社新書)としてまとめた。具体的には、神話や聖書の場面を描いた彫刻や絵画、また、ゴーギャンやマグリット等の作品を事例として、多くの視覚芸術が構造的暴力の維持に加担してきた側面を、ジェンダーの観点から指摘した。本研究テーマは主として写真を視覚表象としてではなく経験として扱うものであるが、その研究の一部となる本書では、美術作品とその表象が写真の受容に影響を与え、また、ジェンダーステレオタイプを反映および強化してきた側面があり、これが個人の生にも影響を及ぼしてきたことを明らかにした。また、本書は、後述する本研究の事例研究と理論構築だけでは写真を用いた暴力における個人の責任を免罪するかのような印象を与えかねないという懸念から、視覚表象における暴力の歴史を批判的に考察し、それを研究の第一段階として広く一般に提示しようと試みたものである。加えて、本書ではこうした視覚表象における構造的暴力の歴史を批判する意図で制作された国内外のフェミニズム・アートについても論じた。なお本書はアートとフェミニズムの入門書として執筆したものではあるが、背景にある差別的な構造を分析する視点や、批評的な鑑賞の楽しみとその方法を読者に示しアカデミアと社会を接続させることも企図したものである。
 事例研究では、写真が「触れない暴力」として機能する具体的な事例を分析した。研究対象としたのは①アブグレイブ刑務所の写真、②リベンジポルノ、③外食チェーン店や小売店などで客やアルバイトが不適切行為を撮影しSNSに投稿する迷惑行為(通称「客テロ/バイトテロ」)、④盗撮、の4つの事例である。なお、申請者はすでに①と②の事例については、フェローの初年度に研究を進めた。2年目の今年度は主に、④盗撮の事例に含まれる女性スポーツ選手の性的画像の問題に関する調査を行った。
 また、本研究では、事例研究と並行して、写真の「非人間化の装置」としての性質を明らかにする理論の構築を行なってきた。「非人間化の装置」というキーワードは「カメラをはじめとする写真装置が、人の理性的な判断能力を後退させるのではないか」という仮説から着想を得た。この視点は、写真の問題にとどまらず、AI技術を利用した自動運転などで引き起こされた事故などといった、科学技術と人間が協働する現代社会における責任の問題に関する技術哲学の議論にまで展開し得るものである。なお、本研究は今後も継続し、博士論文としてまとめる。

 

2024年5月

※現職:秋田公立美術大学ビジュアルアーツ専攻 助教