成果報告
2021年度
美術作品から推定するカーネーションの花色育種の歴史と花色嗜好性の遷移
- 明治大学研究・知財戦略機構 博士研究員
- 森本 隼人
研究の背景・目的
母の日の代名詞であるカーネーションは, 桃色や赤紫といった花色を示す一重咲き野生種(ナデシコ)が複雑に交雑することによって生まれ, 当初は欧州を中心に栽培されていた。現在の多様なカーネーションが誕生するまでの育種過程において, 16世紀以前の育種や栽培に関する記録(古典書等)がほとんど残っておらず、この暗黒時代における育種や栽培に関する歴史は不明のままとなっている。しかし幸運にも, カーネーションの花の絵は,16世紀以前から作品として今でも残されている。当時の画家たちは,巧みな技術により花を忠実に描いてきたため, “絵”から花の形質を読み取ることができる。これまでカーネーションの花の色を遺伝子レベルで研究してきた私は, その花の絵から, どのような色素が蓄積しているのか, どういう遺伝子に変異が生じているかが分かる。
本研究では, 強力な情報源ツールである絵を用い, 美術作品に登場するカーネーションとナデシコの花の色・模様を分子生物学的に解釈することでカーネーションの育種の歴史の様相を明らかにする。
研究成果
〇母の日の定番品“赤色のカーネーション”はいつ誕生したのか?
赤色の一重咲きナデシコは, 15世紀初期から多く描かれており, 中期以降に八重咲きの赤色カーネーションが多く描かれ, さらに16世紀末から17世紀初期には現在見ることができる赤色カーネーションが描かれていた。ナデシコは, シアニジン(Cy)というアントシアニンを蓄積することで桃色の花を示すが,カーネーションの育種に用いられてきた野生種には赤色花色は存在しない。現在見る赤色花色は, ペラルゴニジン(Pg)という赤色色素を持っており, この色素の蓄積には, DNAに存在するPgからCyへの変換を担うF3´H 遺伝子に変異が生じる必要がある。絵画の調査の中で, 地色の赤色に暗赤色の斑が入ったナデシコが見つかった。暗赤色花色は野生種由来のCyの蓄積によって生じるため, この斑の部分では1度生じた変異(CyからPgへの変異)が元のCy色素を作る状態(F3´H 遺伝子の変異がなくなっている状態)に戻ったことを示している。近年の生物学研究から, この可逆的な変異に動くDNA配列(トランスポゾン)が関与していることが知られている。以上のことから, ナデシコ野生種もしくは栽培種のF3´H にトランスポゾンが挿入することでCyからPgの蓄積へと変化し, 赤色花色が生まれたことが類推された。
では, 栽培過程で生じたナデシコの赤色花変異体はなぜヒトの手で維持されてきたのか?ナデシコと同様に一重咲きの赤色バラがキリスト絵画に描かれており, キリストの聖痕の数と花弁の数の同一性および受難の血(赤色)を表す花として扱われていた。ナデシコに関しては花弁数や色に加え聖釘の形と花形が類似している。キリスト教全盛期の社会的背景の中で突然変異によって生じた赤色ナデシコは, アトリビュートとして受け入れられ, 大規模に栽培されてきたことが推測できた。その後,栽培規模の拡大により変異の確率が高くなり, 1450年代では花弁の枚数を制御する遺伝子に変異が生じ, 赤色の八重咲きのカーネーションが登場, さらに変異が加わり16世紀末には現在誰もが知る赤色カーネーションが誕生したことが類推された。
〇カーネーションの花色育種の歴史(花色の多様化の遷移)
14-15 世紀では, 調査した花が描かれている作品のほとんどに赤色花ナデシコが描かれており, 暗赤色・桃色や白色花は少数描かれていた。16 世紀では前世紀と比較して赤色の割合が減少し, 暗赤色や白色等の花色の割合が増加した。16世紀後期には斑入り模様の花が急増し, 17 世紀に入ると絵画に描かれるカーネーションの半数近くが斑入り模様を示していた。さらに, 前世紀では見ることが無かった黄色系や紫色系を示す花が描かれていたが, 18世紀末期までそれらの花色を示すカーネーションはほとんど描かれなかった。黄色花色に関しては, その作品数の少なさは遺伝子の変異の仕組みの複雑さによるものと推測しているが, 紫色花色に関しては当時では嗜好性の低い色だったのかもしれない。
自然科学と文化史を融合した本研究は, カーネーション育種の歴史の様相を紐解くだけでなく, 人間理解にもつながる可能性を示した。今後は, 美術作品の作成場所や花の変異パターンからナデシコやカーネーションの育種過程やどのように伝播していったかについて明らかにしていく。
2023年5月
現職:国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構 研究員