成果報告
2021年度
物理的領域の正しい解釈から得られる哲学的世界像
- 日本学術振興会特別研究員PD(受入機関:名古屋大学大学院情報学研究科)
- 藤田 翔
研究の背景、目的と意義
我々が日常的に指示する何らかの対象は、時空間に位置付けられる類のものとそうでないものに大別される。例えば前者には特定のモノや人物、出来事といった主に物理的な対象が含まれており、後者には数字や言語、精神といったような概念的な対象が含まれている。直観的に考えると、前者に関しては存在を問うのが比較的に容易だが、後者の場合には難易度が上がる。織田信長が実在したかどうかは、時空間において、すなわち歴史上のある期間にこの日本という国のある特定の地域に、その存在の確証を掴むことができるかどうかで定まる一方、2や3といった数的対象が実在するかどうかを議論するためには、そもそも存在や実在という言葉の意味自体を深く掘り下げる必要があるからだ。
哲学はこの存在という言葉の意味を永年問い続けてきた。時空間には位置付けられない抽象的な対象の存在を、どのように主張できるのかという問いは、形而上学という分野が現在も扱っているテーマである。存在者をカテゴライズする上で、哲学では実に様々な世界が挙げられている。すなわち精神世界に理論世界、普遍者の世界といったように、時空領域を伴う物理世界とは別に、抽象的な世界を仮定しているのだ。これらの存在を擁護することは、結果的に存在という言葉の本来の意味を突き詰めることに繋がり、「時空間に位置すること」を実在の自明な根拠としている従来の常識を省みる上でも重要である。
本研究はこういった哲学の課題と、宇宙や時空の起源の解明という物理学が抱える課題を結び付けることで、科学が捉える世界像を哲学と科学の両観点から横断的に解釈することを目指している。科学理論やその世界像を担う分野としては、科学哲学があるが、近代科学が哲学から独立してからは、専門化による学問同士の乖離が進んでいる。この現状で科学者自身が自然や宇宙をどのように認識して、どのような本性として捉えているのかという科学現場の声を、哲学に正しく反映することは困難である。そこで科学哲学や形而上学といった哲学の諸分野が扱っている多くの存在概念を整理し、物理学が扱う抽象的な数式が与える世界像とのリンクを誘う斬新な学際的探究には、学問の敷居を越えた高い独創性と萌芽性があると言えよう。
研究成果と得られた知見
本研究は、既存の物理学の哲学における先行研究を出発点としており、特に、宇宙の起源を扱う量子物理学が与える、「時空は基礎的な土台ではなく、より基礎的な枠組みから派生した存在に過ぎない」という時空の創発の議論に焦点を当てた。これにより、ミクロなスケールで物理学を捉える際には、距離や角度といった、具体的な時空の性質ではなく、位相や接続といった、より抽象度の高い性質群こそが時空構造の根幹を成しているという知見が得られた。さらに光子のような物理学理論が措定するミクロな粒子の存在は、時空内の位置というよりは、物理量の変数によって作られた概念的な領域内に見出すことができ、その存在は観測者の操作可能性といった広義の因果性にこそ依存するという描像が、科学哲学的な観点から既に帰結できている。この時空領域を越えた因果性の有無を基準に用いることで、粒子や時空構造の根幹といったミクロな存在を擁護することができるため、仮に高度に抽象化された数学的な構造であっても、物理的領域として機能し得るという示唆に至った。
そして、「時空に位置付けられない」という共通点に着目し、この現代物理学から帰結される抽象的な物理世界のあり方を、形而上学における抽象世界の擁護として関連付けたことは学問的にも大きな飛躍である。時空領域を前提としない存在者の主張の根拠が、時空領域を前提としていたはずの物理学から得られたことは、非常に興味深いと言えよう。
今後の課題と見通し
抽象的な物理世界の特徴を整理した上で、形而上学におけるより広義な世界像を引き続き探究していきたい。何らかの存在を主張するためには様々な基盤や枠組みが用いられるが、時空領域は特に明瞭な存在基盤であり、物理世界こそがあらゆる世界の中で最も自明な事例であった。物理学の超時空的世界像が、哲学で論じられる抽象的な存在をどの程度擁護できるかは、ミクロな物理的対象とそれ以外の抽象的対象の間に他にどういった共通点が見出されるかに依存するだろう。上述した広義の因果性の概念などは、冒頭で述べた数的対象の存在に関する考察の指針を提供する上でも重要なファクターになり得ると考えられる。改めて、どのような世界がどのように存在するのかを追求していきたく思う。
2023年5月